「神が慰めてくださるので」

Ⅱコリント1:4

 本日は、東日本大震災を覚える礼拝です。2011年3月11日の東日本大震災から明日で丸8年が経とうとしています。改めて、こんなに年月が経ったんだなと思います。本日の礼拝でご一緒にお読みしたいと思う御言葉が、Ⅱコリント1:4です。「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」(Ⅱコリント1:4)。この御言葉は、2011年度の郡山コスモス通り教会の年度聖句として掲げた御言葉です。当時は震災のただ中で、先行きが全く見えませんでした。原発事故もどうなるのかも分かりませんでした。そんな状況の中で、何をすればいいのかも分からないし、自分たちに何ができるのかも分からない…。でも、「この御言葉を掲げて歩んでいきましょう」と話しあったのです。

私はこの御言葉を読む時、二つの形で励ましを受けます。一つは「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださる」という言葉です。私たちがどんな苦難の中にいて、失望や悲しみの中にいても、神様はその悲しみの中にいる私たちを慰めることがおできになる方なんだ…。このことは私たちにとって本当に慰め、励ましとなるのではないでしょうか。加えて、もう一つ、この御言葉から励まされることがあります。それは、私たちが「神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができ」るという言葉です。これは、言い方を変えるなら、私たちが経験してきた苦難、痛み、悲しみが決して無駄にならないということなのではないでしょうか。私たちにとって、苦難は辛いことです。できれば経験なんかしたくないと思います。苦難を通らされている時には「何で自分がこんな経験をしなければいけないんだろう」と損をしているような思いにされられるのではないかと思います。しかし、この御言葉を読む時に励まされるのではないでしょうか。私たちが苦難を経験し、その苦難の中で神様に慰められてきたとするなら、そこで痛んだこと、苦しんだこと、悩んだことは無駄にならない…。その経験を通して、私たちの隣にいて、私たちのように悩んだり苦しんだりしているその人を慰めることができる…。このことは本当に励まされるのではないかと思います。実際、私たちは様々な痛みを通らされ、苦悩を通らされたからこそ、語れる言葉というものがあるのだと思うのです。そして、そういう人が語ってくださる言葉で救われる人というのがいるのではないかと思うのです。そのような言葉こそ、今の時代を慰め、照らしだす光になっていくのではないでしょうか。

今の状況を思う時、しばしば震災被災地の大変な現実に蓋をして、無理やり、明るい世界に見せようとしているようなところがあるんじゃないかと思うことがあります。しかし、私はそういうところに本当の希望の光は見えてこないのではないかと思います。被災地には様々な厳しい現実がありますが、その中でこそ聞こえてくる真実の声があるのだと思います。そして、その真実の中で共に苦闘しながら、神様を見上げようとしていく時、その中でこそ見出せる本当の希望があるのではないかと思います。

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