本日のローズンゲンの御言葉です。

「災いだ、偽りの判決を下す者/労苦を負わせる宣告文を記す者は。彼らは弱い者の訴えを退け/わたしの民の貧しい者から権利を奪い/やもめを餌食とし、みなしごを略奪する。」イザヤ10:1,2

「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」ローマ12:2

昨日、郡山コスモス通り教会で、礼拝を献げてきました。礼拝が始まる前、宿泊しているホテルから、教会まで郡山の教会員であるSさんが迎えに来てくれました。教会に向かう道中、Sさんから郡山の現在の様子だったり、郡山で現在流行っている美味しいものの話などを聞くことができました。そんな会話の中で原発事故後に様々な混乱についての話になりました。すると、Sさんがポツリとこんなことをおっしゃっていたのです。

「郡山に住んでいて嫌だと思うことはないし、恨み節のような思いはない。けれど、『こんな経験はもう自分たちだけで十分だ』という思いは強くある。こんなことが二度と起こる事がないようにと思う。」

心に強く迫ってくる言葉でした。私たちはこの言葉をどう受け止めるでしょう。こんなことがもう二度と起こらないように、何より原発事故の記憶を忘れないこと、福島の今の様子をきちんと知ることが必要なのだと思います。

本日の御言葉には、次のように記されています。

「災いだ、偽りの判決を下す者/労苦を負わせる宣告文を記す者は。彼らは弱い者の訴えを退け/わたしの民の貧しい者から権利を奪い/やもめを餌食とし、みなしごを略奪する。」

本日の御言葉を読みながら、「偽りの判決を下す者/労苦を負わせる宣告文を記す者」という言葉が心に迫ってきました。今回、福島に来て、ひしひしと感じるのは、福島に来て、実際に見聞きしてみないと、分からないことがたくさんあるなということでした。私たちの周りには様々な情報が飛び交っています。そして、ともすると、そのような声を鵜呑みにしてしまう私たちがいるのではないかと思います。そんな中、福島に対して「もう大丈夫」と思ったり、「福島は危険だ」と敬遠したり…。でも、どちらの声も、実際の現場の状況がきちんと伝わっていなかったり、偏った形で歪曲化されてしまっていたりということがあるのではないかと思います。そして、そのような声が、福島の方々を始め、今回の事故で被害に遭われた方々を様々な形で翻弄したり、負わなくてもよい労苦を負わせてしまっていることがあるんじゃないかと思うのです。そんなことを思いながら、改めて、福島の人たちの声にきちんと耳を傾けること、その声を受け止めていくことが大切だと思いました。そこから見えてくること、聞こえてくることがあるのでないでしょうか。

正直、すぐには答えが出ないことばかりです。ですが、それでも私たちの目と耳で、しっかり、見るべきことを見ていきたい、聞くべきことを聞いていきたいと思わされました。(鈴木牧人)

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