「最高の道」

Ⅰコリント13:4-7

本日の箇所は「愛の賛歌」と呼ばれる箇所です。パウロは、本日の箇所で愛について語るにあたり、その前提として「そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます」(12:31) と語りました。この言葉から考えさせられたのは、私たちが今の時代、どんな価値観をもって生きているだろうということです。先日、西南学院大学神学部の卒業礼拝が行なわれました。そこでバークレー院長がこんなことをおっしゃっていました。

「現在、AIの時代になっている。しかし、AIでは決して満たされないものがある。今、一番問われているのは、どんな価値観をもって生きるのかということではないだろうか。」

確かに今の時代、様々な分野でAI化が進んでいます。そんな時代の中、私たちの周りは生産性や効率性や成果というものばかり注目され、評価や競争に煽り立てられているような状況があるのではないかと思います。そんな中、私たち自身、ともすると、どうしてもそういう価値判断に流されてしまいそうになることがあるのではないでしょうか。しかし、それでは決して満たされないものがあるんだとバークレー先生はおっしゃっていました。本日の箇所を読みながら、その言葉が重なってくるように思いました。私たちにとっての最高に価値あるものとは何か…。私たちは何を大切にし、何に価値を見いだそうとしているのか…。本日のパウロのメッセージは、私たちに大切なことを問うているのだと思います。

愛に生きることこそが最高の道なんだ…。本日の箇所を読みながら、何よりそのことを心に刻んでいきたいと思います。ただ一方で思うのは、具体的に愛に生きるということは簡単ではないということです。本日の箇所を読んでも、つくづく「愛に生きることが全然できていない自分」がいることを思います。本日の御言葉を読んで心からアーメンと思いますし、感動もするのですが、実際の自分を思う時、忍耐強いとはとても言えない自分や情け深くあれない自分を思います。御言葉通りに全然できない自分を思うのです。

加えて思うのは、そもそも「愛」というものが分かっていない自分の姿です。愛について頭であれこれと考えているのですが、実際には全然分かっていない…。愛に生きようとしながら、独りよがりなことばかりしていたり、自分で自分が何をしているのか分からなくなったり…。そんな自分がいます。しかし、それでも愛に生きることの価値は見失わないでいたいと思います。「愛に生きることこそが、最高の道なんだ」との呼びかけに対して、アーメンと応えたいし、私たちなりの歩幅で、その愛を追い求めていきたいと思うのです。

そして、そのように愛を追い求めていくためにも、私たちは祈らないではいられないのだと思います。聖書の御言葉に聞かないではいられないのです。教会の交わりを必要とするのです。パウロは一連の「愛」のメッセージを、一貫して「聖霊の賜物」の関連の中で語っています。つまりパウロにとって、真実の愛に生きることは聖霊の賜物なのです。私たちは、自分自身の力で、必死になって心を絞り出すようにして、愛を追い求め、愛に生きようとするのではありません。聖霊の支え、励まし、導きの中で愛に生きるのです。

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