本日のローズンゲンの御言葉です。
終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。イザヤ2:2,4
あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。ヨハネ20:21
毎年、新潟県の長岡市で行なわれる日本三大花火大会の一つ「長岡花火」というものがあります。
この「長岡花火」の由来をご存じでしょうか。昭和20年8月1日午後10時30分、アメリカ軍の爆撃で、長岡の空は赤く染まり、街は一夜にして灰塵と化し、1,470余名の命が奪われました
その二年後、人々は戦災復興と平和への祈りを込めて、長岡の空に花火を捧げました。
戦中の中断を経て、再び「長岡花火」は祈りの花火として復活することになりました。
毎年8月1日午後10時30分、長岡空襲が始まった時刻に合わせて慰霊の花火を打ち上げるのだそうです。「長岡花火」は、今や日本三大花火と称されるようになりました。
「裸の大将」の愛称で知られる山下清画伯が、描いた「長岡の花火」という絵があります。
昭和24年の夏、山下清は、長岡に現れます。それは放浪中の旅ではなく、日本一の花火を見るためでした。そして、生まれたのが「長岡の花火」でした。
漆黒の夜空に大小のまんまるい花火が色鮮やかに開いているその絵には、ぎっしりと埋め尽くされた観衆、信濃川の水面に映る花火まで描かれています。山下清が、このようなことを言ったそうです。
「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたらきっと戦争なんか起きなかったんだな」
「長岡の花火」の絵は、そんな山下清の思いが込められているような、本当に素敵な絵です。
本日の箇所には、次のように記されています。
「終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。」
本日の御言葉を読みながら、「彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする」という言葉が心に残りました。本日の箇所を読みながら、「空襲爆撃の深い痛みの記憶」から「長岡花火」を生みだされた歴史が思い出されました。
4月21日、スリランカで大規模なテロが起こりました。教会やホテルを標的にしたテロでした。
ニュースを聞き、深く心を痛めていたところ、本日の御言葉が心に迫ってきました。
私たちの生きる現実は、未だに争いや戦争が尽きません。
本日の御言葉を読みながら、ただただ、主の助けと導きを祈らされました。
そんな中、御言葉にあるように、主が「剣を打ち直して鋤とし」「槍を打ち直して鎌と」し、さらに「爆弾を直して花火」としてくださり、私たちに平和への道を導いてくださいますようにと祈らされました。
何より、今回のテロ被害で犠牲になられた方々、御遺族の方々に主の慰めがありますよう、祈らされます。(鈴木牧人)