「愛を追い求めなさい」

Ⅰコリント14:1-5

本日の箇所には、「異言を語る者が自分を造り上げる」(14:4)ということが書かれています。この「自分を造り上げる」という言葉が心に迫ってきました。今の時代、ことさら、この「自分を造り上げる」ということが問われているんじゃないかと思いました。今の時代、私たちの周りには色々なことがあります。多くの人が迷いや悩みや生きづらさのようなものを抱えているのではないでしょうか。そういう時代にあって、私たち一人一人がまず、自分自身をしっかりと作り上げていかないと、すぐに自分を見失ってしまいそうになる状況があるのではないかと思うのです。そんな中、本当の自分を取り戻し、自分を造り上げていくということが本当に大切なことなんじゃないかと思います。本日の箇所には、異言の祈りには、そういう働き、力があるんだと記されています。私たちが聖霊に導かれ、異言の祈りを献げていく…。異言の祈りを通して、一人一人、聖霊との特別で、豊かな交わりが与えられていく…。そんな中、聖霊との出会い、交わり、取り扱いを通して、私たちは慰められ、育まれ、本来の自分自身を回復し、造り上げられていくことができるのです。しかし、ここで書かれていることはそれだけではありません。「預言する者は教会を造り上げます。」(14:4)とも書かれています。異言を語る者は自分を造り上げるけど、聖霊が私たちを招いている信仰の世界はそれだけではないと語るのです。それだけで留まってはいけない…。自分を造り上げることも大事なのですが、それ以上に、互いに造り上げられていくことが大事なのです。キリストの教会として、互いにそのように造り上げられていくことは何より大事なことなんだと言われているのです。

本日の箇所を読みながら、色々なことを考えさせられました。今の時代、私たちが自分自身を造り上げるということは大事なことだと思うのですが、ともすると、私たちはそこで終わってしまうということはないでしょうか。そして、それというのは、コリント教会がまさにそうだったんじゃないかと思います。コリント教会の人々は、福音に出会い、聖霊の取り扱いを受け、自分を造り上げていきました。それは大切なことだったのだと思います。しかし、そこで終わってしまったのではないかと思います。結果、コリント教会には分裂や様々な問題が起こっていたのです。そして、さらに思います。そんなふうに、自分を造り上げることは大事だけれど、それだけではないんだということは、聖書がくり返し、語っていることなのではないでしょうか。旧約聖書の創世記には、天地万物を創造された時、神様は繰り返し、「良い」と語られた様子が記されています。しかし、その中で唯一、「良くない」と言われたことがありました。それは「人が独りでいるのは良くない」(創世記2:18)ということでした。ここにはまさにアダムを造り上げながら、それだけではない…。それだけでは良くないということが語られているのだと思います。神様は最初の人アダムを造り上げた時から、「それだけでは良くない」と言われました。人には互いに助け手の存在が必要で、そのようにして、互いに建てあげられていくことが大事なんだと言われたのです。

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