「まことに神はあなたがたの中に」
Ⅰコリント14:6-25
以前、ある先生が私にこんなことをおっしゃいました。「教会の中に、神様が働くスペースを作ることを忘れないでね。教会で色々なことをしていくと、つい一生懸命になり過ぎて、人ばかりが頑張って、人の力で教会を造り上げようとしているようなことがあるんだ。結果として、せっかく神様が御業をなそうとしておられるのに、その御業が見えていなかったり、神様が働くスペースを奪ってしまうようなことがある。教会を建て上げるのは、神様なんだということを忘れないように。その神様が自由に活き活きと働くことができるように、神様が働くスペースをきちんと作っていかなければいけないよ。」その先生の言葉にハッとさせられました。当時の私は牧師として、どこか肩に力が入っていたところがあったと思います。そんな私というのは、その先生がおっしゃるように、人の力で何とかしようとしていたところがあったのではないかと思うのです。
未だに自分でこうしようと思ったり、こうあるべきだと考えてしまう自分がいます。しかし大概、そんなふうに思い詰めている時は上手くいかないことの方が多いです。その時に思い浮かべるのが、「神様のスペース」という言葉です。そして、その時に立ち帰らされるのは、自分の思いや考えで、「こうじゃなきゃ」と考えるのではなく、今のこの状況に働いてくださっている神様に信頼しながら、「その神様が今、私に望んでいるのは何か」聞くことなんだなということのです。ついつい、自分の思いばかりが先立ってしまって、そういう思いが脇に追いやられてしまうことがあります。結果、神様が働いてくださっているということが分からなくなり、神様に聞こうとすることも脇に追いやられてしまうのです。そんな中、その牧師の言葉は、私に大切なことを教えてくれる言葉となっています。
私たちの歩みに先立って、神様が働いてくださっていることに信頼し、その神様の自由な働き、自由な取り扱いに大いに期待していきたいと思います。ただ、この「自由」という言葉は、そこばかりが一人歩きしてしまうこともあります。結果、自由という言葉が「何でもあり」という状況をつくり出すこともあるのです。そんな中、もう一つ、別の先生がおっしゃっていた言葉を思い出します。「教会には、時に、交通整理が必要なんだよね。皆が活発に自由に働くことは素晴らしいんだけれど、それぞれがそれぞれの思いの中ですることで、混乱が起きたり、トラブルが起きたりすることがある。そんな中、きちんと事柄を整理して、駄目なことはきちんと駄目だと言ったり、これは大事だよねということを確認したり、そういう交通整理は大事だよ。」その言葉も時々に思い出します。そんな中、私としては、教会の中で自由な神様の働きが起こされていくよう、祈りつつ、違うものに対しては違う、駄目なものに対しては駄目ときちんと言えるような教会を建てあげていきたいとも思っています。本日の箇所で問われていることもそういうことなんじゃないでしょうか。パウロがコリント教会の中に起こされている聖霊の働きを大切にしつつ、混乱が起こさらないよう交通整理をしている箇所なのだと思うのです。