本日のローズンゲンの御言葉です。
主が御顔をあなたに向けて/あなたに平安を賜るように。民数記6:26
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。フィリピ4:7
本日の箇所には、次のように記されています。
「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」
この御言葉は、大変有名な御言葉です。
ただ私たちがよく読む時には、本日の7節と一緒に6節を読むことが多いのだと思います。
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ4:6-7)。
ある註解書を読んでいたところ、この最後の「あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」というところの「守る」という言葉を、「守る」という受身的な言葉より、「見張る」とすべきであるということが書かれていました。ここに記されているのは、あらゆる人知を超えた神の平和が私たちの心と考えとを見張ってくれるということが語られているというのです。
そして、その註解書には、4:6-7は密接に繋がっていて、切り離すことができない・・・。
その中で大切なキーワードとなる語は、「感謝」という言葉なんだと記されています。
私たちが6節にある「感謝」というものを忘れている時、私たちの心や考えを見張るものがなくなってしまうのだということが語られていました。感謝を忘れる時、私たちの心や考えは、周りの事柄に対して、きちんと見張ることができなくなって、心が揺さぶられたり、迷ってしまうというのです。注解書の言葉を読みながら、色々なことを考えさせられました。
確かにそうだなと思うのです。私自身のことを振り返って考えてみる時、感謝を忘れている時というのは、いろんなことをすぐに背負い込んで、世の事柄に心が奪われてしまっているな…。
そんな自分というのは、御言葉に立つということだったり、神様に信頼するということがすっかり抜け落ちてしまっているなと思うのです。結果、周りの事柄に振り回されてしまっている自分がいて、自分自身の心をきちんと見張ることができなくなっていることを思います。
そんな中、感謝から始めることが大切なんだと教えられます。
感謝をするということは、神様に心を拓いて、神様に信頼することから始まるのだと思います。
自分で握り締めるのではなく、神様に信頼し、神様に栄光を帰すことです。
そのように感謝の中で、御言葉にあるように、願いも祈りも、心に抱えた煩いごとも、主の御前に打ち明けていく時、私たちは神様に取り扱われ、あらゆる人知を超える神の平和が私たちを捕らえ、私たちの心と考えとを見張ってくれるのです。
改めて、そのような信仰を大切にしていきたいと思いました。(鈴木牧人)