「平和をつくり出す秩序」
Ⅰコリント14:26-40
本日の箇所には「婦人たちは従う者でありなさい」(14:34)との御言葉があります。この御言葉を受けて、以前、ある方がこんな質問をしてきました。
「聖書には、『婦人たちは従う者でありなさい』と書かれています。ある人がこの聖書の言葉を取りあげて、女性は男性に従わなければならないと語っていました。そんなふうに、女性は男性に従わなければいけないんですか。そうでないと不信仰なんですか。」
それに対して、こんなお話しをしました。
「確かに聖書にはそういうことが書かれています。しかし、聖書にそう書いてあるからと言って、女性は男性に従わなければならないと言うことについては、少なくても私は違うと思っています。パウロが手紙の中でそのように書いたのは、今から数千年前のコリント社会での状況や、その当時の価値観というものがあったのだと思います。コリント教会が置かれた特別な事情というものもあったと思います。そういうことを飛び越えて、聖書の書いてあることを表面的だけ捕らえて、『私たちもそうしなければならない』というのは少し乱暴です。聖書に聞くことは大事ですが、どう聞くのかということが一番大事なんだと思います。聖書には本質的な部分では時代を越えて変わることなく、私たちが大切にしたい真理のメッセージが語られていると思いますが、事がらによってはその時代状況を加味して受け止めなければならないこともあるんだと思います。たとえば、パウロはコリントの信徒への手紙で、女性たちに『婦人たちは従う者でありなさい』と書く一方、奴隷たちに対して、『そのままでいなさい』(7:21)とも語っています。もし聖書に書かれているからと言って、『女性は男性に従わなければならない』と主張する人は、同じように奴隷も認めるべきだと主張するのでしょうか。そんなことはないと思います。ですから、聖書の御言葉の表面的だけを捉えて、『聖書にこう書いてあるからこうあるべきだ』と考えるのは、乱暴な聖書の読み方だと思います。」
本日の箇所を読む中で、何よりご一緒に分かち合いたいことはそういうことです。「婦人たちは、教会では黙っていなさい」と書かれているからと言って、その言葉をそのまま受け取って「聖書にこう書かれているから」ということで、教会では女性は発言できないと言うなら、私は「それは違う」と思うのです。ガラテヤ3:24にはこのように書かれています。
「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:28)
本日の箇所と合わせて読みたい御言葉です。このガラテヤ書の御言葉にあるように、私たちは、主にあって、男性、女性もありません。その上で、私たちが今置かれている現実を鑑みながら、互いの関係性をもう一度見直すことが大切なのだと思います。そのような読み方を私たちは「私たちの聖書の読み方」として選び取っていきたいと思うのです。