「この福音によって救われます」

Ⅰコリント15:1-2

 本日の箇所で、パウロは「わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます」と語っています。これは一体どういうことでしょう。もう一度知らせる必要があったから、こういうことを語っているのだと思います。コリント教会の人たちが、パウロから伝え聞いたはずの福音を、その時は信じたはずなのに、信じた時には心燃やされたはずなのに、いつの間にか、そうでなくなってしまっていから、もう一度知らせる必要があったのではないでしょうか。そして、それというのは、私たちも問われているのかも知れません。

本日の箇所を読みながら、改めて「福音」という言葉が心に留まりました。私が会社員として、福島の教会に集っていた頃、こんなことがありました。ちょうどその頃、教会に二人の女子青年が来るようになり、彼女たちがバプテスマを受けることになりました。その勉強会の最初に牧師がこんな質問をしました。「教会に来て『福音』っていう言葉を聞いたと思うけど、福音って何だと思う?」二人の女子青年は「分かりません」と答えていました。すると、牧師はこんなふうに言いました。「福音ってね。英語ではグッドニュースって言うんだ。良い知らせ。私たちにとって嬉しくて嬉しくてたまらないような良い知らせ、それが福音なんだよ。」その牧師の言葉が今も心に残っています。私は福音が英語でグッドニュースと書くことは、すでに知っていました。しかし、その時はなぜかそのことがとりわけ心に迫ってきたのです。これからバプテスマを受けようとしていた二人が、牧師に言われた言葉を本当に嬉しそうに聞いていたからかも知れません。しみじみ「福音って、グッドニュースなんだよなぁ」と思いました。福音とは何かということを考える時、思い出す経験です。福音について伝えたいことは山ほどあります。しかし、一番大事なこととして伝えたいことは、「福音とはグッドニュースなんだ」ということです。本日の記述を読む時、コリント教会の人たちはこのことがぼやけてしまっていたのではないかと思います。そんな彼らに対して、「わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます」と語っているのではないかと思います。パウロは本日の箇所で、「これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます」(15:1)と語りました。このように語っているということは、コリント教会の人たちがこういうことが分からなくなっていたということなのではないかと思います。コリント教会の人たちにとって、福音は生活のよりどころではなくなっていたし、自分たちがこの福音によって救われているんだということが分からなくなっていたのではないでしょうか。そして、そのことはそのまま、今の私たちにも呼びかけられているのかも知れません。

本日の御言葉を読みながら、福音について考えていきたいと思います。福音はグッドニュースです。私たちにとっての喜びの知らせであり、私たちにとってのよりどころであり、この福音によって私たちは救われるのです。このことを心に刻みたいと思います。

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