本日のローズンゲンの御言葉です。
「見よ、主を恐れることは知恵である、/悪を離れることは悟りである。」ヨブ28:28口語訳
「平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです。」1コリント7:15
本日の箇所には、次のように記されています。
「見よ、主を恐れることは知恵である、/悪を離れることは悟りである。」
この言葉を読みながら「知恵」という言葉と「悟り」という言葉が心に留まりました。改めて「知恵」という言葉が気になったので、辞書を調べてみたところ、次のように記されていました。
【知恵】①正しく物事を認識し判断する能力。②事の道理や筋道をわきまえ、正しく判断する心のはたらき。事に当たって適切に判断し、処置する能力。③単なる学問的知識や頭の良さではなく、人生経験や人格の完成を俟まって初めて得られる、人生の目的・物事の根本の相にかかわる深い知識。
また「悟り」については、次のように記されていました。
【悟り】①物事の真の意味を知ること。理解。また、感づくこと。察知。②迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること。
これはあくまで日本語に訳されている「知恵」と「悟り」の話です。しかし、これらの解説を読みながら、色々なことを思いました。何より思ったことは、「知恵」というのは、物事を単にあれこれとたくさん知っているということだけではなく、その知識をきちんと生かし、正しく判断し、何が大事なことなのか選び取っていくことが大事なんだなということでした。加えて「悟り」ということで思ったのは、迷ったり、悩んだり、時に失敗などしながらも、その先に大事なこと、真理は何なのかを学んでいくことなんだなということでした。そして、そんなことを考えながら、思ったのは、色々なことがある中で、迷ったり、悩んだり、時に失敗などしながら、その先に「色々なことがあるけれど、神様をまず第一に恐れ、その神様に耳を傾けていこう」「これ以上、迷ったり、惑わされてしまわないように、悪(私たちを神様から引き離そうとするもの)からはちゃんと距離を置こう」そのように選び取っていこうとしていることが、本日の御言葉で呼びかけられていることなのではないかということでした。そのようなことを思いながら、本日の御言葉がなお一層心に迫ってきました。
昨日の祈祷会で、ある姉妹とお祈りをしました。その姉妹は、現在、色々な課題や悩み事を抱えておられます。そのことをあれこれ考えてしまうと、心が沈み込んでしまいそうになってしまいます。そんな中、本当なら教会に来ることもしんどいのではないかと思いますが、それでも祈祷会を選び取って、教会に来られていました。本日の御言葉を読みながら、その姉妹の姿が心に迫ってきました。まさに色々なことがある状況の中で、この姉妹は「主を恐れよう」、「悪(私たちを神様から引き離そうとするもの)から離れよう」としておられるのではないでしょうか。そのような姉妹の姿に教えられる思いでした。私たちはともすると、すぐに周りのものに流され、何が大事なものなのかが分からなくなってしまいそうになることがあります。そんな中、主を恐れ、悪(私たちを神様から引き離そうとするもの)から離れることができる「知恵」と「悟り」を見失わないでいたいと思います。(鈴木牧人)