本日のローズンゲンの御言葉です。
「わたしの民を良い物で飽かせると/主は言われる。」エレミヤ31:14
「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」マタイ10:8
本日の箇所には、次のように記されています。
「わたしの民を良い物で飽かせると/主は言われる。」
本日の御言葉を読みながら、何より心に留まったのは、「良い物」という言葉でした。ここで言われている「良い物」って何だろう?と思いました。そして、ふと思い出したことがありました。ある教会にいた時のことです。みんなで聖書を読んでいました。その時、読んでいた聖書は、ルカ11:9-10でした。
「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(ルカ11:9-10)
みんなで、この聖書の箇所を読みながら、それぞれの意見を語りあっていました。主な意見として出されたのは、「求めるって大事だよね」とか、「大胆に探し求めていきたいね」ということでした。しかし、一人の女子青年がこんなことを言ったのです。「ここで、『求めなさい』ってことが書かれているけれど、『求める者は受け』って本当なのだろうか?そもそも何を求めればいいのかも分からない。」その女子青年の意見に対して、みんな、何て答えればいいのか、黙ってしまいました。しかし、しばらくして、ある人がこんなことを言いました。「何を求めればいいのか分からないということは確かにあるよね。でも、それでもいいんじゃないかな。大事なことは、神様に期待し、神様に求めることなんだと思う。そんなふうに神様に向き合うことが大事なんだと思う。」その人の言葉を聞いて、その場にいるみんなと色々なことを話しました。それから、改めて、ルカ11章の御言葉を読み返しました。すると、ルカ11:9-10の先にある11:11-13の御言葉が目に留まったのです。「あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
ここには求める人に対しての対応が記されています。魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親などはいない…。人間の父親でさえそうなのだから、ましてや天の父は求める人に対して、必ずや良い物を与えてくださるんだ…。そのように書かれています。ここで目に留まったのは、天の父は、求める者に対して、具体的に「聖霊」を与えてくださるんだということが約束されていることでした。この聖書の御言葉を読みながら、こんなことを分かち合いました。「私たちが神様に何かを求めるという時に『何を求めればいいのか』ということさえ分かっていないような私たちがいるかも知れない。けれども、それでもいいんだと思う。それでも、私たちは何より、神様に信頼し、期待し、自分の思いをそのままに打ち明けて、神様を求めていきたい。そんな私たちに神様はきっと応えてくださる。神様の応えは、私たちが想像していたような応答ではないかも知れない。しかし、神様は、常に私たちにとって、最もよいものを与えてくださるんだということを信じていきたい。そして、その神様が私たちに何より与えようと願っておられるのは他ならぬ『聖霊』なんだ。私たちは自分自身分かっていないかも知れないけれど、私たちにとって最も必要で、最もよいものは『聖霊』なんだ。神様はそのことを何よりご存知だから、私たちに『聖霊』を与えようとしておられるんだ。」
そんな話をしました。本日の御言葉を読みながら、その時のことを思いだしました。その時のことを思い出しながら、改めて、私たちに「良い物」を与えてくださる神様に信頼し、期待し、自分の思いをそのまま打ち明けていきたいと思いました。(鈴木牧人)