本日のローズンゲンの御言葉です。
「あなたたちの神、主はあなたたちを試し、心を尽くし、魂を尽くして、あなたたちの神、主を愛するかどうかを知ろうとされるからである。」申命記13:4
「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」ローマ5:3-4
昨日、教会員のYさんが風邪をひかれたということで、急遽、携帯中継での礼拝を行なうことになりました。礼拝後、「家にいながら礼拝できましたことを感謝します。とてもよく聞こえましたし、とても励まされました」との連絡をいただきました。「聞けて良かったです」と返信したところ、「みんなと一緒にメッセージを聞けて、みんなと一緒に賛美ができて、本当に嬉しかったです」とおっしゃってくださいました。Yさんとやり取りをしながら、思い出したことがあります。10年以上前のことになりますが、私が郡山にいた時、家族全員がインフルエンザにかかり、礼拝に出席できなくなってしまったことがありました。急遽、教会の役員さんたちで証をして礼拝を献げることになったのですが、私たち家族は教会堂二階の牧師館で、ラジオ中継してもらい、礼拝を献げることになりました。その日はクリスマスの打ち合わせなどもあり、皆さんに散々迷惑をかけてしまったのですが、私にとっては忘れられない礼拝となりました。本来、出席できないはずの礼拝ですが、このようにラジオ中継を通して、礼拝で讃美をしたり、御言葉に耳を傾けることができる…。これまで以上に、教会の皆さんと一緒に礼拝できる喜びをかみしめながら、礼拝を献げることができました。その喜びはインフルエンザになったからこそ、噛みしめることができたものでした。Yさんとのメールのやり取りをしながら、その時のことを思い出しました。
本日の箇所には、次のように記されています。
「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」本日の御言葉には、私たちが遭遇する「苦難」について書かれています。私たち信仰者は「苦難」でさえ無駄にはならないことを知っています。なぜなら「苦難」から私たちは「忍耐」を学び、「忍耐」から私たち一人一人が練り整えられ、さらにその中で本当の「希望」を見上げる信仰を学んでいくことができるからです。「苦難」を経験することはしんどいけれども、このような「苦難」を通ったからこそ、学んだことがある…。あの経験があったからこそ、このようにイエス様を見上げることができるんだ…。私たちはそのような信仰に生きることができるのです。本日の御言葉を読みながら、昨日の礼拝後のやり取りや、私がインフルエンザになった時のことを思い出しました。
今も私たちの歩みには色々なことがあります。試練を経験したり、病むこともあったり…。しかし、そのことを通らされるからこその喜びがあるんだということを覚えていたいと思います。そして、何より主にある希望を見上げていきたいと思います。(鈴木牧人)