本日のローズンゲンの御言葉です。
「わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。」
サムエル記上1:27
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」マタイ7:7
以前、ある先生から、このようなことを言われたことがあります。
「神様に期待する信仰を大切にしなさいね。神様に期待する信仰が無くなってしまうと、私たちは信仰に力を失っていくのだと思う。何で神様を信じようとしているのかの意味を失い、信仰生活がわずらわしいものに思えてしまうことさえあるかも知れない。そんな中、神様に期待することは、私たちの信仰にとっての力となるのだと思う。」
そのような話をされていました。本当にそうだなと思います。私たちの日々の歩みには色々なことがあります。物事がうまくいかなかったり、願った通りにならないことがあります。そういう経験をさせられると、どうしても心がなえてしまい、期待することに憶病になってしまうと言いますか、期待すること自体を辞めてしまおうと思ってしまうことがあるかも知れません。しかし、神様に期待することを辞めないでいたいと思います。聖書の中に、「幻がなければ民は堕落する」(箴言29:18)という言葉がありますが、主を見上げる幻を抱いて、神様に期待することは、私たちの何よりの力となるのです。
本日の箇所には、次のように記されています。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」
本日の箇所は、大変有名な御言葉です。ここには、イエス様から私たちに「求めなさい」「探しなさい」「門をたたきなさい」との力強い呼びかけの言葉が記されています。この箇所を読む時にいつも思うのは、イエス様からの「私に期待しなさい」という呼びかけです。イエス様自身、私たちがイエス様に大いに期待し、イエス様を求め、探し、門をたたくことを求めておられるのだなと思うのです。
7月28日、二人のバプテスマ式が執り行われました。バプテスマに先立って、お二人の信仰の証を聞きましたが、お二人の歩みを聞きながら、本当に主がお二人の歩みを取り扱ってくださっていることをひしひしと感じました。午後の愛餐会の挨拶の中でも、一人の教会員が「日々の歩みの中で、神様っておられるなと実感することがあるんです」とおっしゃっていました。色々な課題、問題もありますが、それでも神様は確かに生きて働いておられることを実感する一日でした。この神様に期待し、歩んでいくことができたらと思います。(鈴木牧人)