本日のローズンゲンの御言葉です。

「神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」ヨナ3:9

「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」Ⅱペトロ3:9

本日の箇所には、次のように記されています。

「神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」

御言葉を読みながら「神が思い直されて」という言葉が心に留まりました。以前、ある先生が、この箇所からこんなことをおっしゃっていました。

「私たちの信じる神様は、『私たちのために思い直してくださる方』なんだよ。私たちの歩みや、私たちの祈りの執り成し、そのことによって、一度決められたはずのことを思い直してくださることがある。本日の箇所のように、人々が悔い改める様子を見て、怒りを静め、一度滅ぼすとお決めになったことを思い直すことがおありになるし、そのようにご自身が私たちのために思い直すことを喜んでくださる方でもあるんだ。そのことを信じて、私たちは大胆に神様に祈り、求めていきたいと思う。」

その先生は、そのようにおっしゃっていました。お話を聞きながら、「私たちのために思い直してくださる方」という言葉が心に留まりました。「私たちのために思い直してくださる」ということは、「私たちの声をきちんと受け止めてくださる」ということでもあるのだと思います。思い直すことなどない、決まったことは決して変わらないということになれば、私たちがいくら何かを訴えたとしても、「そんなこと言っても、もう決まったことだからどうしようもない」ということになってしまうのだと思います。私たちの姿をご覧になり、私たちの祈りを受け止めて、これは変えるべきだと思われながら、思い直してくださる…。それは私たちのことを無視なさらず、私たちのことをきちんと見て、その声を受け止めてくださっていることの証なのだと思うのです。もちろん、私たちの思いに先立ってすでに神様の計画というものがあります。そこには私たちの思いを越えた神様の決定的な御支配というものがあるのだと思います。しかし、その神様は、私たちの思いや声を無視なさらず、耳を傾け、時には私たちのことを思って、一度お決めになったことさえ、思い直してくださる方でもあるのです。そのことは私たちにとって慰めであり、希望でもあります。それゆえ、私たちは、根っこの部分では「神様のなさることは最善」ということに信頼し、その神様に全てを委ねていきたいと思うのですが、同時にその時々の私たちなりの思いをありのままに告白し、神様に期待し、祈り、大胆に神様に求めていきたいとも思うのです。 (鈴木牧人)

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