本日のローズンゲンの御言葉です。
主は高き所にいらせられて、その勢いは多くの水のとどろきにまさり、海の大波にまさって盛んです。詩篇93:4
イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。ルカ8:25
現在、台風が迫っています。福岡でも強い風が吹き始めています。東海地方、関東、東北地方の方々が心配です。特に千葉の方々は前回の台風で甚大な被害に遭われた方もおられますから、これ以上の被害になりませんようにと祈らされます。
本日の箇所には次のように記されています。
「イエスは、『あなたがたの信仰はどこにあるのか』と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、『いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか』と互いに言った。」
この箇所は、大変有名なガリラヤ湖の嵐の記述です。
舟に乗って、ガリラヤ湖を渡っていたイエス様の弟子たちはある時、激しい嵐に見まわれます。
突風が湖に吹き降ろし、弟子たちの舟は水をかぶり、危険な状況になってしまいます。
そんな中、弟子たちはイエス様に対し、「先生、先生、おぼれそうです」と助けを求めたのでした。そこで、イエスが風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になったということが書かれています。
現在、台風の影響で、教会の外も強い風が吹いていますが、その様子を見ながら、改めて弟子たちの心境について考えさせられました。弟子たちの多くは、もともと漁師たちでしたから、多少の高波には慣れていたのではないでしょうか。しかし、それでも激しい嵐におじ惑ってしまうのです。
自分自身を顧みながら、私も同じだなと思いました。
頭の中では冷静であるはずの自分がいても、実際に「嵐」の状況に置かれたり、波風に揺れる状況に置かれると、おじ惑ってしまう…。そんな自分がいるなと思うのです。
そんな自分を思いながら、改めて「あなたがたの信仰はどこにあるのか」という言葉が心に迫ってきました。
「あなたの信仰がどこにあるのか」と言えば、吹けば飛んで行ってしまうようなちっぽけな自分の信仰ばかりが見せつけられます。
しかし、本日の箇所を読みながら思うのは、そんな自分さえもそのままイエス様の御前に差し出して、イエス様を見上げていきたいということです。
弟子たちがそうしたように、自分の不安も恐れも、主に打ち明けながら、「先生、先生、おぼれそうです」と助けを求めていきたいと思います。
言うなれば、そんなふうに主を見上げ、求める信仰…。
それが私の中にある信仰でありたいと思いました。 (鈴木牧人)