「今、この目であなたを仰ぎ見ます」

ヨブ記42:1-6

ヨブは神を畏れ、悪を避けて生きてきた無垢な正しい人でした。ヨブは神様に祝福されます。しかし、サタンはヨブを試みようとするのです。サタンはヨブの財産を奪ったり、家族を奪ったり、ついにヨブを重い皮膚病で苦しめようとします。ヨブはそれでも神様を見上げようとしました。しかし、度重なる苦難に、神様のことが分からなくなってしまいます。そして、ついに自分の生まれた日を呪い、神様に対して嘆きを訴えるのです。ヨブには、三人の友人がいました。彼らはヨブが受けた苦難を聞き、ヨブを慰めようとやって来ます。しかし、ヨブが神様に嘆き訴えているのを見て、何とかヨブを説得しようとします。ただヨブの痛みは深く、ヨブは友人たちの説得を聞こうとしません。すると、この友人たちはだんだん感情的になって、やがてヨブを裁き始めるのです。ヨブとヨブの友人たちとの話し合いは、平行線のままでした。そんな中、最後に神様がヨブに語りかけるのです。神様の語りかけはヨブ記38章から始まります。ここで印象的なのは、神様が、ヨブが抱えていた悶々とした思いや問いに対して、神様が納得できるような答えをお話しになったわけではないということです。神様がヨブに語ったのは、「あなたは、わたしのことがちゃんと分かっているのか」ということでした。38:4の「わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか」という言葉から始まり、ヨブに対して、「お前に一体何が分かるのか」「わたしこそがこの世界を作った神なんだ」ということを宣言されるのです。そして、「あなたは、わたしのことがちゃんと分かっているのか」「私を神としているのか」と迫るのです。ヨブはこの神様に圧倒されるような形で、語ったのが、本日の箇所でした。ヨブは「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し/自分を退け、悔い改めます」と語ったのでした。

ヨブにとっての神様との出会いとは、どんなものだったでしょう。私たちは、ヨブのような「神様との出会い」を経験することはないかも知れません。しかし、それと重なるような出会いはあるかも知れないと思います。それまでどこか頭の中で知識としてだけ捕らえていた「神様」という存在が、圧倒的な形で現実の存在として迫ってくる…。その中で神を神とするということを学んでいく…。そういう出会いです。そんな中、それまでの自分に立ち止まり、自分を退け、神を仰ぎ見るということがあるのではないでしょうか。

カール・バルトという人が、信仰の経験として、「立ち止まること」「沈黙すること」「仰ぐこと」を語りました。本日の箇所のヨブの姿と重なって来るのではないでしょうか。もしもヨブが本日の箇所のような神様との出会いを経験していなかったら、その後はどうなっていたのでしょう。その後も、ずっと自分の中に悶々とした思いを抱えたままだったのではないかと思います。そのことを思う時、ヨブにとって、この神様との出会いは、自分が砕かれる経験だったかも知れませんが、同時に、それまでの自分から解放され、救われる経験でもあったのだと思います。

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