本日のローズンゲンの御言葉です。

「なぜ、苦しむ者に光が与えられ、心の痛んだ者にいのちが与えられるのだろう。死を待ち望んでも、死は来ない。」ヨブ3:20-21

「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」ヘブライ2:18

今朝、テレビに女医のおおたわ史絵さんが出演されていました。おおたわ史絵さんはテレビなどにもよく見かけますが、現在は、週に二日、受刑者矯正施設の矯正医官として、受刑者の診察などをしているそうです。何故、そのような仕事を始めたかと言うと、お母様の影響が大きいとのことでした。

おおたわさんのお母様は、厳しい方だったとのですが、小さい頃の病気がきっかけで鎮痛剤の薬物依存症となり、そのことがきっかけで亡くなられたということです。そのような経験を通し、依存症で困っている人の手助けをしたいという思いもあり、そのような働きを始めたとのことでした。おおたわさんがそのような働きをしていることや、お母さんのことなど、全く知らなかったので、驚きました。おおたわさんは依存症について、こんな話をしていました。

「依存症は、本人だけの問題ではありません。家族の関わり方が重要です。関わりのイメージを大切にしてください。依存症から回復するために、以前は『依存を辞めさせること』ばかりに集中していました。でも、それではうまくいかないことが多いです。私たちも同様の失敗をしてきました。たとえば、あなたが溺れかけていて、目の前に浮き輪があったら、その浮き輪に掴むと思います。誰かがその浮き輪からあなたを無理やり離そうとしても、力づくでその浮き輪を握りしめるのではないでしょうか。依存症の患者にとって、依存しているものというのは、まさにその『浮き輪』なんです。それを無理やりやめさせようとしても、手離すことができない…。そのことを理解することが大事です。そんな中、浮き輪を手離すためには、あなたがその人に手を差し伸べて、『この手を掴みなさい。そうすれば大丈夫』と言ってあげることです。そして、この手に信頼していいんだよということを伝え、その手を掴む訓練をすること。そうして、手を掴むことができれば、自然と浮き輪を手離すことができるんだということを伝えることが大事です。」そのような話をしておられました。おおたわさんの話は大変分かりやすく、印象的な話が多かったです。特に「この手に信頼していいんだよということを伝え、その手を掴む訓練をすること」という言葉が心に残りました。

本日の箇所には、次のように記されています。「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」 本日の箇所を読みながら、「(主は) 試みられている者たちを助けることがおできになる」との言葉が心に留まりました。そんな中、イエス様が試みの中にある私たちをお助けになろうとする時、その仕方というのは、きっとおおたわさんが語ったような仕方なんだろうなと思いました。試みの中、不安や恐れが一杯の状況で、必死に浮き輪にしがみついている私たちに対して、差し伸べ、「この手を掴みなさい。そうすれば大丈夫」と呼びかけておられる…。「この手に信頼していいんだよ」ということを呼びかけながら、私たちがイエス様が差し出してくださった御手を掴む訓練をする…。そのようにして、私たちが私たちの「浮き輪」から手を離し、癒しと救いに導かれるようにしてくださる…。そういう仕方なんだろうなと思いました。そんな中、私たち一人一人に差し伸べられているイエス様の御手を思いました。(鈴木牧人)

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