「愛に覆われながら」
Ⅰペトロ4:7-8
本日の箇所は「万物の終わりが迫っています」(Ⅰペトロ4:7)との言葉から始まります。ここに記されているように、私たちが信仰者として「終わりの時」を心に刻むということは大切なテーマです。私たちは「終わりの時」を見据えつつ、「今をどう生きるのか」ということを考えていくのです。
本日の御言葉でまず呼びかけられているのは、「思慮深くふるまう」ということです。「思慮深くふるまう」とはどういうことでしょう。原文のギリシア語では「ソープロネオー」という言葉が使われています。この言葉には「思慮深い」という意味の他に「分別がある、正気である」という意味があります。つまり、ちゃんと自分を自分としてしっかりともち、物事を考え、事柄をきちんと見分けることができる…。そういう意味だと思います。
次に呼びかけられているのは「身を慎んで」ということです。この言葉についても色々言えるかも知れませんが、一つイメージするのは、自分の思いや考えが前のめりになりそうになる中で、自分を戒め、前のめりのままにならないよう自分を自重できる…。自分を保てる…。コントロールできる…。そういうイメージではないかと思います。
そんなことを思いながら、色々なことを思いました。何というのでしょう。この「思慮深くふるまい」ということ、そして「身を慎んで」ということは、今の時代、本当に問われていることではないでしょうか。今の時代、私たちの周りには色々なことがあります。そのように、次から次へと色々なことがある中で、周りに流されそうになったり、自分を見失ってしまいそうになったりすることがあります。ともすると「自分を保つ」ということが難しく思えたり、「思慮深く」と言われても、そもそもきちんと考える余裕もなかったり、あれこれ考えることに疲れてしまったりすることもあります。そんな中、本日の箇所にあるように、自分自身をしっかりもって思慮深くあるということ、自分の身を慎みながら、自重して歩むということは本当に簡単ではないと思ってしまうのです。でもだからこそ、問われているといいますか、大事なテーマではないかと思います。そして、そんなふうに「思慮深くふるまいなさい」「身を慎みなさい」という言葉について考えれば考えるほど、その後に続く「祈りなさい」という言葉が心に迫ってきます。ここに記されていますように、私たちは「思慮深くふるまい、身を慎んで」歩もうとすればするほど、祈らないではいられないんじゃないかと思います。
そして、さらに思います。その後に続く「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい」という言葉です。「思慮深くふるまいなさい」「身を慎みなさい」という言葉は、結局このことに繋がっているのではないでしょうか。私たちが目の前の現実の中で、事柄を見極め、思慮深くあろうとし、祈りつつ、自分自身を見失わないようにしながら、御心を尋ね求め生きようとしていく時、私たちはきっと、祈りの中で、そして、御言葉の導きの中で、互いに心を込めて愛し合う歩みへと導かれていくのだと思うのです。