本日のローズンゲンの御言葉です。
「父がその子を憐れむように/主は主を畏れる人を憐れんでくださる。」詩103:13
「言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。」マタ8:11
私が東北にいた時のことです。ある時、東北のY教会のバプテスマ式に参加したことがあります。
当時、Y教会は無牧師でした。教会員の方が関わっている一人の婦人が、バプテスマを受けたいということで、K牧師と出かけることになったのです。そのご婦人は高齢で、末期の癌を患っていました。
親戚がいるにはいるのですが、遠方に住んでいて、ほとんど身よりがない状態でした。
ある時、Y教会の方が、その婦人と知り合いとなり、それから、教会の幾人かで、訪問を続けていたそうです。すると、ある時、婦人が「イエス様の話を聞きたい」と言ってこられ、その話をしていたところ、「バプテスマを受けたい」と言われたのでした。その婦人は容体が悪くて、危篤状態が続いていました。
バプテスマをすることになった当日も、その前日には意識が戻らず、話すことができない状態でした。
ですから「会いに行ってみないと分からない。もしかしたら、話せないかも知れない」と言われていました。祈るような思いで、病院に出かけたのですが、到着すると、看護婦さんから「ちょうど、今、落ち着いていて、話もできる状態です」と言われました。それを聞いて、私たちは胸をなでおろしながら「神様が守ってくださっているね」と話しあいました。病室に入ると、婦人はベッドを起き上がらせた格好で、私たちを待ってくれていました。決して、容体が良かったわけではありませんでしたが、私たちの顔を見ると、静かに微笑んでくださいました。早速、バプテスマ式を始めました。婦人はしゃべることもできない状態だったのですが、それでも周りの人たちの言うことはしっかりと聞いてくださり、司式をしたK牧師が「イエス・キリストを主と信じ、救い主と告白しますか」と尋ねた時には、はっきりした口調で「はい」と答えていました。
そのバプテスマ式も心打たれました。しかし、その後に行なわれた主の晩餐も心に残りました。
主の晩餐を行なうにあって、婦人は食べ物を口にすることはできない状況でしたから、パンを小さく小さくして、口につけたり、ぶどうジュースも口に湿らすような感じでした。それでも、婦人は嬉しそうにそれを受けていました。そして、最後にみんなで讃美を歌ったのですが、礼拝が終わった後、教会の人たちが一人一人挨拶をしたのです。ある教会員の方が、婦人にこんなことを言いました。
「教会はね。イエス様にあって、神の家族なんですよ。今日から、~さんと私は神の家族です。私の方が年下ですから、私が弟です。よろしくお願いします。」
それを聞いた婦人が本当に嬉しそうな顔をしていました。その婦人の顔が忘れられません。それから一週間ほどで、婦人は天に召されました。私の中で今も忘れられないバプテスマ式と主の晩餐の光景です。
まさしく「天国の食卓の情景」を思わせるような光景でした。本日の箇所には、次のように記されています。
「言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。」
本日の箇所には、やがて訪れる「天の国の祝宴」の様子が記されています。この御言葉を読みながら、Y教会のバプテスマと主の晩餐のことを思い出しました。今度の日曜日は、12月の第一日曜日です。主の晩餐が行われます。また、Nさんのバプテスマ式も執り行われる予定です。本日の御言葉を読みながら、日曜日に執り行われるバプテスマと主の晩餐を通し、「天国の食卓」の喜びを共に分かち合うことができたらと思わされました。祈りつつ、備えていきたいと思います。(鈴木牧人)