「泊まる場所も見つからないのです」
ルカによる福音書2:1-7
本日の箇所には、イエス様がお生まれになった様子が記されています。イエス様がお生まれになったのは、ベツレヘムという町でした。ここはかつてのイスラエルの王様、ダビデの出身地でした。ヨセフはダビデの血筋でしたので、ベツレヘムにルーツがありました。ただこの時、ヨセフはガリラヤのナザレという村に住んでいました。ですから、住民登録をするために、ベツレヘムまでやって来なければならなかったのです。ヨセフがマリアを連れて、ベツレヘムにやって来た時、マリアが産気づいてしまいます。そこで、ベツレヘムでイエス様を出産することになったのです。私はこの箇所を読みながら、つくづく、マリアもヨセフも大変だったろうなと思います。ただでさえ初めての出産ですから大変だったと思います。しかも、その出産を旅先で迎えることになってしまうわけです。想像しただけでも本当に大変だったと思います。近くに親しい人や気を許せるような人がいてくれたら、少しはホッとすることができたかも知れません。しかし、ここに自分のルーツがあるとは言え、実際に自分たちを家に迎えてくれるような知り合いもいなかったのです。
聖書には誕生したイエス様が布にくるんで飼い葉桶に寝かせられたと記されています。情景としては、麗しい情景かも知れません。でも、実際はどうだったでしょう。出産するわけですから、何より衛生面が大事です。家畜小屋で出産し、生まれたばかりの子どもを飼い葉桶に寝かせる…。衛生面としてはとてもキレイとは言えません。こんな場所しかないから仕方ないという状況だったのだと思います。そんなことを思いながら、なおさら考えさせられます。マリアやヨセフは、このような状況の中で出産をすることになり、ことさら「自分たちは孤独だな」「ここではよそ者なんだな」「周りから取り残されているな」ということを痛感したんじゃないかと思います。
私たちもそういうことがあるのではないでしょうか。私たちが大変な状況だったり、厳しい状況に置かれている中、自分には身を寄せる場所もなかったりすると、ことさら、しんどいと思うのではないかと思います。マリアもヨセフも、そうだったのではないでしょうか。
いずれにしましても、本日の箇所に記されているイエス様誕生の記述を読みながら、マリアもヨセフも本当に大変だったろうなと思います。その大変な状況で、ことさら孤独を感じたりもしたのではないでしょうか。そして、そんなことを思えば思うほど、なおさら、「神様が私たちと共にいてくださる」とのクリスマスのメッセージが心に迫ります。本日の箇所でマリアもヨセフも本当に大変だったと思います。不安や孤独を通らされたと思います。でも、そのただ中で「神様が共にいてくださっている」ということ、その神様によって「大丈夫」と思えるような経験をさせられたのではないでしょうか。実際、神様は彼らと共にいてくださいました。色々と大変な状況を通らされたかも知れませんが、最終的には全てが神様によって守られたのです。そんなふうに大変さと同時に、そんな中こそ、より一層、神様が共にいてくださること、神様に守られていることを経験したのだと思うのです。