本日のローズンゲンの御言葉です。
わたしの戒めに耳を傾けるなら/あなたの平和は大河のように/恵みは海の波のようになる。イザヤ48:18
キリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。1コリント1:30
本日、夕方にH兄の納骨式が行われます。
H兄は、昨年12月13日の4時半に天に召されました。H兄は長らく肺を患っておられました。
癌の手術を4度もなされ、その内の3回が肺癌のための手術でした。
度重なる手術によって、肺を撤去し、肺が一般男性の半分ほどしかありませんでした。
そのような状況で、肺炎を患ってしまい、一度回復傾向になったそうですが、その後に以前、患っていたことがある間質性肺炎がぶり返してしまいました。11月25日に入院され、その半月後に天に召されました。
肺が半分しかないような状況の中で、肺炎となってしまう…。
召される数日間は、呼吸器をつけておられたとのことでしたが、本当に苦しかったんじゃないかと思います。
H兄の葬儀を行なうにあたって、お連れ合いのM姉から、H兄が使っていた聖書と、ノートを貸していただきました。
ノートには、私たちの教会の礼拝に出た時の記録が書かれていました。
毎週毎の聖書箇所と説教題やメッセージの内容などが記されていました。
こんなふうに毎週の礼拝で記録につけていてくださったんだなと思い、本当に感動をいたしました。
大体はそのような礼拝の記録が書かれていたのですが、ところどころ、端々にメモのような言葉も書かれていました。
これは私の想像ですが、その都度、H兄自身が思われていたことが書かれていたのではないかと思います。
そんな中、印象的だった言葉があります。こんな言葉です。
「今日、出席できない いやしと導きがありますように ここち良い言葉を並べた祈り…良いのか?」
おそらくその時、何かしらのご事情で礼拝に来ることができなかったのではないでしょうか。
そんな中、お一人で祈っておられたりしたのではないかと思います。
その中で、神様にいやしや導きを求めておられるのですが、一方でそんなふうに自分にとってここち良い言葉だけを並べたてているようで良いのだろうか…。
そんなふうに自問自答されているのではないかと思います。
短い言葉ですが、この言葉を読みながら、H兄が本当に神様を真剣に求めておられたんだなということを思いました。
今さらながら、もっと生前にお話できたらと思いました。
毎週毎の礼拝で、求めながらも、同時に、自分自身に対しても、その他、周りの様々なことに対しても、色々な問いを抱えておられたんじゃないかと私なりに勝手に想像しました。
本日の箇所には、次のように記されています。
「わたしの戒めに耳を傾けるなら/あなたの平和は大河のように/恵みは海の波のようになる。」
本日の御言葉を読みながら、H兄のことを思いました。
H兄の葬儀では、新生讃美歌431番『いつくしみ深き』をくり返し讃美しました。
この讃美はH兄が生前、好きだった讃美だったそうです。
お家でも時々にM姉にこの歌を弾いてほしいと言われていたとのことでした。
また 「葬儀でも歌ってほしい」と言われていたとのことでしたので、ぜひ、H兄の葬儀では、「この讃美を一杯歌って、お見送りしていきましょう」ということになりました。
本日の納骨式でも歌いたいと思います。
『いつくしみ深き』で歌われているように、私たちの主イエス・キリストは、私たちのかけがえのない友です。
そして、私たちはその主の御声に耳を傾けようとしていく時、私たちの平和は大河のように恵みは海の波のようになるのです。
どうぞ、本日の納骨式のためにお祈りください。
H兄の上に、また、残されたご遺族お一人お一人の上に、主にある平和と恵みが豊かに注がれますように。 (鈴木牧人)