本日のローズンゲンの御言葉です。

「わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。」詩篇22:2

「こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」使徒12:5

昨日、公立学校の3月2日からの休校が決定いたしました。コロナウィルス対策のためだということです。テレビを見ると、連日、コロナウィルスに関するニュースが放送されています。ニュースなどを見ながら、不安な思いで過ごされている方もおられるのではないでしょうか。私も現在、外出する際にはマスクをすることを心がけていますし、普段以上に手洗い、うがいには気を使っています。その他、できる限りの予防対策をしていきたいとも思っています。ただ、そんなことをしながら、ふと思ったことがあります。それは、今の状況というのが、2011年の東日本大震災の原発事故当時の福島の状況に似ているなということです。あの時は本当に先の見えない状況の中、自宅待機を余儀なくされていました。外に出る時には、マスクから帽子からを身に着け、外に出かけていました。毎日、ラジオのニュースを聞きながら、その報道に一喜一憂していました。そして、そんな原発事故当時のことを思い出しながら、思ったことは、「ちゃんと怖がる」ことの大切さでした。色々な情報を鵜呑みにせず、過剰な形で怖がらず、かと言って、慎重になるべきことは慎重に対処していく…。そのようにして、自分たちでできる可能な限りの対処をしていく…。そのことの大切さを思うのです。そして、そのようにしていくためにも、このような時こそ、祈ること、御言葉にしっかり繋がることを大切にしていきたいと思います。

自分一人であれこれ考えてしまうと、つい色々なことを考えすぎてしまうことがあります。目の前のことでいっぱいいっぱいになってしまうこともあります。そんな中、自分に冷静さが与えられるように、色々な問題がある中で、きちんと事柄を見分け、本当に大事なことをきちんと判断できるように、祈ること、御言葉に繋がっていきたいと思うのです。実際、私が御言葉メールの働きを始めたのも、原発事故が起こったからでした。当時、自宅待機を余儀なくされて、悶々と過ごしている中で、私も本当に不安でした。そんな中、きっと教会の皆さんも不安なのではないかと思い、少しでも御言葉に触れてほしいと配信を始めたのが、この御言葉メールの働きでした。改めて、その時のことを思い出しています。本日の箇所には、次のように記されています。

「こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」 本日の箇所には、牢獄に捕らえられたペトロを支えるために、教会で祈りがささげられていた様子が記されています。この時、ペトロは不安な思いを通らされていたのではないでしょうか。そんなペトロにとって、祈りの支えがどんなに励まされたのだろうかと思います。私たちも時に不安や恐れを通らされることがあります。しかし、そのような時こそ、御言葉が、そして、祈りが私たちを支え、励ますのです。共に御言葉に繋がり、祈りあっていきたいと思います。現在、日曜日のプログラムについて、執事会の中で話しています。礼拝は通常通りに行ないます。ただ午後のプログラムに関しては、できるだけ縮小する方向で調整しています。なお、教会に来られる際には、玄関口にある消毒液で手を洗浄してもらうことを徹底し、できるだけ、マスクなどをするように呼びかけ、欠席される方に関しては、希望者に礼拝データを録音して送ろうと話し合われています。いずれにしても、できる限りの予防対策をしつつ、共に主を見上げていきたいと思います。  (鈴木牧人)

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