本日のローズンゲンの御言葉です。

「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。心を探り、そのはらわたを究めるのは/主なるわたしである。それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。」エレ17:9-10

「これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。」Ⅰヨハ3:19-20

本日の箇所には、次のように記されています。

「これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。」

ここには、私たちに対し「安心していいんだよ」というメッセージが呼びかけられているのだと思います。実際の歩みの中では、時に失敗してしまったり、欠けた部分があったり、責められてしまうようなことがあるかも知れません。けれど、大丈夫、安心していい、私たちは神様に捕らえられている、真理に属しているんだ…。そのように呼びかけられているのです。私たちにとって、本当に励まされるメッセージなのではないでしょうか。ただ、本日の箇所で注目したい言葉があります。それは「これによって」という言葉です。「これ」とは何でしょう。

本日の箇所の直前のⅠヨハ3:18には、次のように記されています。

「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」

このことを受けて、「これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます」と語られているのです。つまり、私たちが私たちなりの精一杯の思いで、互いを思いやり、誠実に愛し合おうとしていく時、私たちに足りないことがあったとしても、失敗してしまうことがあったとしても、「大丈夫、神様はすべてをご存じなんだ、私たちは真理に属しているんだ」と言われているのです。本日の御言葉は、現在の私たちにとって、本当に大切な言葉なのではないでしょうか。

現在、新型コロナウィルスの問題で、様々な対応を求められています。一つ一つの対応に非常に難しい選び取りが求められていて、ちょっと失敗をすると、周りからすぐに批判をされかねないような状況があるのではないでしょうか。そんな中、どうしても「間違ってはいけない」「失敗してはいけない」という思いに縛られ、物事に対する考え方が消極的になったり、責任を負いたくないというような風潮に流されてしまうようなことがないだろうかと思います。そんなことを思いながら、改めて、本日の御言葉が私たちに呼びかけられているように思いました。私たちは、このような時こそ、互いを思いやり、「行いをもって誠実に愛し合う」ことを忘れないていたいと思わされるのです。手探りで時々に足りない部分もあったり、後々「もっとこうすれば良かったのに」と思うようなこともあるかも知れませんが、けれども、私たちなりに互いを思いやりながら、今できる精一杯のことをしていく…。今、この時に一番忘れてはいけないことはそういうことなんだ…。私たちが真理に属するとはそういうことなんだ…。本日の御言葉を読みながら、そんなふうに呼びかけられているように思いました。以前に御言葉メールでメール書きましたイースターの挨拶ハガキが届きました。今回は集会案内というより、イースターの挨拶を色々な方に届けたいと考えています。今、この状況の中で、互いに思いやり、繋がることができますように。その一つとして、この挨拶ハガキが用いられますように祈ります。(鈴木牧人)

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