本日のローズンゲンの御言葉です。

「いかに幸いなことか/主を畏れる人/主の戒めを深く愛する人は。」詩112:1

「そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」Ⅰペト2:24

以前、ある牧師からこんな話を聞きました。東北の宮城県に、江戸時代、潜伏キリシタンたちが礼拝をしていたという洞窟があるそうです。その牧師は実際に洞窟に行ったそうですが、洞窟内の岩肌を見てみると、ビックリするほどに岩肌がツルツルにだったそうです。その洞窟では潜伏キリシタンたちはぎゅうぎゅうになって礼拝をしていました。そんな中、彼らの背中が岩肌にあたり、その岩のごつごつを背中でならして、だんだんとツルツルになったのではないかと考えられているそうです。狭い洞窟で、周りの目を気にしながら、背中にたくさんに傷を作り、礼拝を献げる…。この時、潜伏キリシタンたちはどういう思いで礼拝をしていたのでしょうか。近ごろ、時々にそんなことを考えることがあります。

現在、世界中の教会が、礼拝を通常通りすることができない状態になっています。姪浜教会でも、緊急事態宣言を受けて、その宣言の間は通常礼拝を控えようということが話し合われています。可能な方には、インターネットでの礼拝を献げていただこうと思っています。できることなら、このような時こそ、共に一つところに集まり、同じ主を見上げ、讃美し、祈り、御言葉に耳を傾けたいと願っています。しかし、そのようなことさえできない現状があります。そんな中、ふと、潜伏キリシタンの人たちの姿が思い出されるのです。私たちは通常通りの礼拝はできないかも知れません。しかし、礼拝は続けます。パソコンを前にしてインターネットを通しての形で礼拝を献げる方もおられると思います。御言葉メールを通して、主に心を静める時を持とうとされる方もおられると思います。インターネットやメールもしていないという方のためには、文書で毎週の説教要旨を届けていきたいと思いますし、それとは別に独自で聖書を読んだり、祈ったりしながら、個人礼拝を行なっているという方もおられるかも知れません。いずれにしても、私たちはこの時にも礼拝を続けていきたいと思います。そして、そのような私たちが共にキリストにあって繋がっていきたいと思うのです。本日の箇所には、次のように記されています。

「いかに幸いなことか/主を畏れる人/主の戒めを深く愛する人は。」

この御言葉を読みながら、励まされました。本日の箇所には「主を畏れ人、主の戒めを深く愛する人」に、「それでいいんだよ」「そこに幸いがあるんだ」ということが語られています。先の見えない厳しい現状がありますが、その中で主を畏れ、主の戒めに信頼しつつ、私たちが今できること一つ一つをしていきたいと考えています。

現在、明後日のイースターに向けての準備をしています。I姉、J兄に手伝ってもらいながら、インターネット礼拝に向けて設備を整えています。また、イースターエッグの準備もしています。本当はイースターエッグを作るのを辞めようかと話し合っていました。ですが、その後、色々考え、できることなら、当日礼拝が終わった後、教会員で届けられるお宅には、エッグを届けに行きたいなと考えています。一つ一つの働きのためにお祈りください。 (鈴木牧人)

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