本日のローズンゲンの御言葉です。

御前からわたしを退けず/あなたの聖なる霊を取り上げないでください。詩篇51:13

わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。コロサイ1:3,13

昨日、知り合いの牧師から素敵な言葉を紹介してもらいました。

その牧師が散歩をしていたところ、近くのお寺の掲示板にこんな言葉が書かれていたそうです。

「しばらくは / 離れて暮らす / コとロとナ / つぎ逢うときは / 君といふ / 字に」

現在、新型コロナウィルスの課題で、共に交わることさえできなくなっている状況があります。

まさにしばらくは離れて暮らさなければならない状況があるのだと思います。

しかし、そのように私たちを互いに引き離している「コ」と「ロ」と「ナ」。

このカタカナの言葉を合わせてみると、「君」という漢字になるのです。

現在、「コロナ」で分断された私たちが、やがて互いに「君」と呼びあい、再会できる時が来ますように。そのような願いを込めた言葉なのだと思います。

本日の箇所には次のように記されています。

「わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。」

以前の礼拝でも紹介しましたが、新型コロナウィルスの問題に対し、ある方がこんなことをおっしゃっていました。「新型コロナウィルスの問題は、私たちに愛するがゆえに、相手を思うがゆえに、その相手と距離を取らなければいけないということを突き付けている。そういう状況の中で、お互いにどう思いを繋がることができるかが問われている。」

この言葉は、この問題の最中で、私の中でずっと問われていることです。私たちはこのコロナの課題の中で、「お互いにどう思いを繋がることができるかが問われている」のだと思います。

現在、インターネットなどを通して、遠距離のコミュニケーションが持たれていますが、そのようなこと以上に私たちに招かれている繋がりがあるのだと思います。それは何より祈りによって、主にあって結ばれる繋がりなのだと思います。本日の箇所にあるように「わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り」というような形での繋がりです。ぜひその繋がりに生かされていくことができたらと思います。一日も早く、直接に会って交わりを持つ時が来ることを願います。

しかし、それまではこのように祈りを通し、インタ―ネットでの礼拝を通して、主に通して繋がれていけたらと思います。そんな中、やがて「君」と呼びあい、再会できる時が来ますように。(鈴木牧人)

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