「広い心」

フィリピ4:4-5

本日の箇所でパウロは繰り返し「喜びなさい」(4:4)と語っています。しかし、どうでしょう。私たちには「喜びなさい」と言われても、喜べない時だってあるのだと思います。その理由は色々だろうと思いますが、理由の一つとして思うのは、私たちは安心できない時、喜ぶことができなくなってしまうということがあるのではないでしょうか。加えて、本日の箇所から、もう一つ思うのは「あなたがたの広い心」(4:5)という言葉についてです。この言葉のように、広い心になれない時、狭い心になってしまっている時、私たちは喜ぶということができなくなってしまうのではないかと思います。現在のコロナの問題のただ中で、私たちはどうしても安心するということができないことがあります。また、どうしても心が狭くなってしまうことがあります。そんな状況の中で本日の言葉が心に迫ってきます。私たちは「喜ぶ」ということを見失ってしまうことがあるかも知れないと思うのです。そんなことを思いながら、本日の箇所で大事なことは何だろうかと思いました。それは何より「主において喜びなさい」ということなのだと思います。また、「あなたがたの広い心」という御言葉にも繋げて語られている「主はすぐ近くにおられます」という言葉も大事だと思います。

そんなことを考えながら、思い浮かべた聖書の箇所があります。マタイ14:25-32です。ここには弟子たちがガリラヤ湖で嵐に遭遇した様子が記されています。イエス様は嵐におじ惑う弟子たちに近づかれたのですが、弟子たちはイエス様を「幽霊だ」(マタイ14:26)と言いました。この時、弟子たちにとって目の前のイエス様は、それほどに遠い存在だったんだろうと思います。すぐ近くにいて、自分たちと一緒に歩んでくれるような確かな存在ではなく、得体の知れない幽霊のような、不確かで、遠い存在になっていたのだと思うのです。そんな弟子たちは、目の前の嵐に恐れおののいているのです。私たちはイエス様に対して、「幽霊だ」というようなことはないと思います。しかしながら、イエス様が遠くに感じてしまっていることはあるかも知れません。そんな中、心が不安や恐れで一杯になってしまっていることはあるのではないでしょうか。そんな私たちに本日の箇所の「主はすぐ近くにおられます」(フィリピ4:5)というメッセージは語りかけているのだと思います。目の前のことで一杯一杯になりながら、イエス様のことが遠い存在に思えてしまっている私たちに「イエス様は近くにいてくださっているんだよ」と語りかけているのです。

嵐の中、おじ惑う弟子たちにイエス様は「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マタイ14:27)と言われました。このイエス様の言葉を聞いた時、弟子たちは平安を取り戻しました。ここで注目したいのは、弟子たちが平安を取り戻したのは、嵐が収まったからではなかったということです。そうではなくて、嵐の中で、イエス様に出会ったからでした。イエス様がすぐ近くにおられるということを知った時、彼らは自分自身を取り戻し、平安を取り戻したのです。この御言葉を読む時、私たちもたとえ嵐のような状況にあってもイエス様に出会うなら主において喜び、心を広くすることができるのだと励まされます。

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