「すべて真実なこと、気高いこと」
フィリピ4:8-9
本日の箇所で、パウロはフィリピ教会の人たちに対して「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」(4:8)と語りました。真実なことって何でしょうか。気高いことって何でしょうか。正しいことって何でしょうか。清いこと、愛すべきこと、名誉なこと、徳や称賛に値することって、何でしょうか。色々なことが言えるかも知れません。しかしその中で最も大切にしたいことは、小さい人、傷ついている人、弱い立場に置かれている人の視点に立って考える真実であり、気高さなのではないかと思います。
現在、差別の問題が本当に深刻なテーマです。その問題に私たちはよくよく向き合っていかなければならないと思います。ただその中で思うことがあります。差別が起きる根っこの部分に、相手のことを思いやることができない私たちがいるのではないでしょうか。特に傷ついている人だったり、傷んでいる人、弱い立場に置かれている人たちのことを思いやれない…。そういう私たちが立場の弱い人たちをいつのまにか踏みつけてしまっているということがあるのではないかと思うのです。そういう私たちが、いくら正しさを語っても、その正しさはどこか大事な視点が抜け落ちていたり、むしろ、その正しさによって、誰かを傷つけたりすることがあるんじゃないかと思います。そんなことを思います時に、本当に真実なこと、気高いこと、正しいことというのは、まず小さくされている人、弱くさせられている人、傷んでいる人、その人の気持ちを思いやること…。自らもそうであろうとすること、少なくても、そうであろうとする視点を見失わないこと…。そのことが問われているのだと思います。そして、それというのは、パウロがフィリピの信徒への手紙で語ってきたことに通じるのではないでしょうか。パウロは「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」(フィリピ2:3-4)と語りました。ここでパウロはフィリピ教会の人たちに、「互いに相手を自分よりも優れた者と考え」なさいと話しました。この御言葉と、本日の御言葉は繋がっているのだと思います。相手を思いやり、尊重し、そこから見えてくるものを大事にしなさい…。本日の箇所にある本当に真実なこと、気高いこと、正しいことが見えてくる…。そういう視点を抜きにしては語れないのだと思います。
今の時代、何が正しいのか、本当に答えの出ないことばかりです。そんな中、迷ったり、悩んだりしている私たちがいます。ですが、少なくても、小さくされている人、弱くさせられている人、傷んでいる人、その人視点に立つことを見失ってはいけないと思いますし、その視点の中で、本当のことは何か、正しいことは何かを見ようとする視点を見失ってはいけないと思います。それは聖書が何より私たちに教えている視点なのだと思いますし、今の時代、私たちが大切にしていきたい視点なのだと思うのです。