本日のローズンゲンの御言葉です。

「遠い昔の日々を思い起こし/代々の年を顧みよ。あなたの父に問えば、告げてくれるだろう。長老に尋ねれば、話してくれるだろう。」申命記32:7

「キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい。」2テモテ1:13

本日の箇所には次のように記されています。

「遠い昔の日々を思い起こし/代々の年を顧みよ。あなたの父に問えば、告げてくれるだろう。長老に尋ねれば、話してくれるだろう。」

本日の箇所を読みながら、「遠い昔の日々を思い起こし/代々の年を顧みよ」という言葉が心に留まりました。そして、思ったのは、歴史に学ぶということでした。以前、広島で集会を持った時に当時の広島市長であった秋葉忠利さんが話をしてくださいました。その中で、こんなお話をされていました。

『「歴史は繰り返す」という言葉があります。今から100年ほど前にアメリカの哲学者ジョージ・サンタヤーナが述べた言葉の短縮形だと理解されていますが、原文は「Those who cannot remember the past are condemned to repeat it.」だそうです。簡単に訳すと「忘れられた過去は繰り返す」ですが、より正確には「過去を記憶できない者は、その過去を繰り返す運命を負わされる」という意味です。まさにこの言葉にあるように、私たちは単に歴史は繰り返すということを運命論のように捉えるのではなく、歴史を忘れてしまう私たちの問題がそこにはあるんだということを心に刻まなければならないのだと思います。』

秋葉さんはこのように話しながら、「原爆のことを忘れてはいけない」と話しておられました。しかし、このことというのは、決して、原爆のことのみではないのではないかと思います。今回のコロナのことに関してもそうなのではないでしょうか。私はコロナの問題で、本当に色々な思いを通らされていますが、その中でふと、福島で経験した原発事故のことが重なってくることが度々あります。家の中で待機している生活をしながら、あるいは、そんな状況の中で、テレビの報道に一喜一憂している経験をさせらながら、行政の対応に色々な思いを通らされながら、原発事故の時のことが思い出されるのです。そんな中、私たちは原発事故からもっと学ぶべきことがあったのではないかと思わされるのです。本日の箇所を読みながら、改めて、そんなことを思いました。私たちはこの時代の中、より一層賢明であるために、歴史から学ぶことが必要だと思います。同時に私たちは今、経験していることを忘れないことも大事だと思います。そのことが私たちの一歩一歩の歩みを建設的に建て上げていくことに繋がっていくのだと思うのです。

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