「よろしく」

フィリピ4:21-23

本日の箇所は、フィリピの信徒への手紙の最後の部分です。ここでパウロはフィリピ教会の人たちに「『よろしく』伝えてください」と書いています。加えて、「私たちもみんな、フィリピ教会の皆さんに『よろしく』って言っています」と書いているのです。これだけを読みますと、何のことない箇所に思えるかも知れません。ですが、この箇所というのは、他の箇所とは違う特徴がありました。パウロという人は、基本、「口述筆記」という形で、手紙を書いていました。口頭で話した言葉を他の人に書いてもらっていたのです。ですが、手紙の最後の部分だけは、自分で直接筆を取って書いていました。本日の部分がそうだと考えられています。そのように、本日の箇所というのは、パウロ自身が自分の手で直接書いた箇所でした。そう考える時に、本日の箇所の何気ない言葉が、特別の響きで迫ってきます。

本日の箇所を読みながら、私の中で思い浮かべたのは、毎年やり取りする年賀状のことでした。我が家では毎年、色々な方と年賀状のやり取りをさせていただいているのですが、年の暮れというのは、毎年バタバタしていて、その中で年賀状を準備しています。色々と忙しいのですが、その最中に加織が年賀状一枚一枚に手書きのコメントを書き添えています。一言コメントと言いましても、出される年賀状は数百枚年賀状になりますので、そのコメントを書き終えるのに、一週間ほどかかります。正直、年賀状にはきちんと年始の挨拶も書いているわけですし、印刷した年賀状をそのまま出してもいいんじゃないかと思ったりすることもあるのですが、加織は「これが大事なの」と言ってコメントを書き添えています。そして、実際にそうだと思います。年賀状を受け取った方がまず目に留まるのが、この手書きの一文のようなのです。印刷しただけでは届かないような思いが、その手書きの一言には込められているんだなと思います。

 本日の箇所を読みながら、そのことが重なってきました。本日の箇所に書かれていることは、特別な内容ではないかも知れません。しかし、この何気ない言葉を通して、パウロにしても、フィリピ教会の人たちにしても、心を通わせることができるものがあったのではないでしょうか。そんなパウロとフィリピ教会の人たちの姿を思いながら、こういうやり取りって、本当に大事だなと思いました。現在、私たちの周りにはコロナの問題があって、お互いに交わることだったり、コミュニケーションを取るということが本当に難しくなってきています。コミュニケーションの取り方でも新しい方法として、インターネットでのリモートの話し合いに少しずつ慣れてきているようなところがあるかも知れないと思います。ですが、どうしても限られた形でのコミュニケーションだったり、肝心な部分で互いに繋がることが難しい時があるなと思ってしまいます。そんなことを思う時に、本日の箇所のやり取りが心に迫ってきます。とりたてて特別な言葉やメッセージではないかも知れませんが、その一言が何より血の通った言葉として相手に届くこと…。そのようにして互いに心を通わせることができること…。そういう交わりって大事だなと思うのです。

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