本日のローズンゲンの御言葉です。
「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」創世記12:4
「信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。」ガラテヤ3:7
先日、大名のクロスガーデンで、九州バプテスト神学校の交わりがありました。その中で色々な話しあいがなされたのですが、ある牧師がこんなことをおっしゃっていました。
「日本では、最近、やたらと『自己責任』ということが言われている。けれど、海外に行って話しをすると、そういう感覚があまり聞かない。そもそも、そんなの当たり前のことだからだと思う。自分のことを自分で考え、自分で責任を持つ…。それはごくごく当たり前のことであって、今さらいうことでもない。そのことが前提にあって、どう支えあい、助け合うことができるのかということが問われているんだよね。」
そんなことをおっしゃっていました。そんな中、さらに話になったのは、「責任」という言葉についてでした。
「そもそも私たちは責任という言葉をどういう思いで使っているだろう。何か都合のいい使われ方をしたり、誰かを裁いたり、批判する時に使われたり…。そんなことはないだろうか。それも海外ではだいぶ違うんじゃないかと思う。英語で『責任』を意味する言葉というのは、『responsibility』になるけど、これは『response』つまり『応答』から来ているんだよね。だから、『責任を持つ』ということは、きちんと具体的に『応答する』ことを意味するんだ。このことの感覚が日本だとどこか曖昧なんじゃないかと思うんだ。」
お話を聞きながら、色々なことを考えさせられました。確かに私たちが『責任』という言葉を使う時、非常に都合のいい使われ方をされてしまったり、あるいは『責任』という言葉がやたら重くのしかかって、その言葉だけで押しつぶされそうになったり…。どちらにしても、はっきりしないもののように思えてしまいます。しかし、大切なことは、私たちが目の前のことに対して、私たちなりにきちんと向き合って、応答していくこと…。それが『responsibility』としての『責任』の本質なんだなということを思いました。
本日の箇所には、次のように記されています。
「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。」
ここには神様からの召命を受けたアブラムが、神様の御言葉に従って旅立った様子が記されています。ここにはまさにアブラムの神様の御言葉の呼びかけに対する『応答』の姿が記されています。そんなアブラムを神様は責任をもって導き、支え、祝福してくださいました。そんなことを考えながら、神様とアブラムの関係は、互いに『responsibility』の関係なんだなと思いました。神様の呼びかけに、アブラムが応答し、そんなアブラムに対して、神様がさらに応答してくださっていく…。そのような関係なのだと思います。そして、それが信仰の関係なんだなということを思いました。私たちも私たちなりに神様の呼びかけに具体的な形で応答していくことができたらと思います。