「アブラハムからマリアまで」
マタイ1:1-17
本日の箇所は、有名な系図の箇所です。よく聖書を初めて手に取った人が、新約聖書から読もうと思って、マタイの冒頭の箇所を読み始めたのだけれど、カタカナばかりで何が何だか分からないので、聖書を読むのを諦めてしまう…。そんな話を聞くことがあったします。確かにそうかも知れません。ここには、カナカナの名前がずっと書かれていて、よく意味の分からない人には何が何だか、分からないということがあるのではないでしょうか。しかし、ここにはこれまでのイスラエルの歴史がギューっと凝縮されているのです。そして、この箇所を読む時、まさにその歴史には色々なことがあったんだなと思います。よいこともあれば、そうではないこともありました。正直言えば、あのことは無かったことにしたいと思うようなこともあったのだと思います。しかし、このマタイの福音書の著者は、その歴史をありのままに伝えているのです。むしろ、それらのことをあえて思い出させるかのような書き方をしているのが、この系図なのです。そんな中、そのような様々な歴史を踏まえて、イエス・キリストがお生まれになったんだ…。その歴史とイエス・キリストの誕生は繋がっているんだということを語っているのです。
そんなイスラエルの歴史の中で、まず語られているのは「アブラハムからダビデまでの時代」です(1:1-6)。この時代、イスラエルの人々は、どんな歴史に生きたのでしょう。色々なことが言えるかも知れませんが、一つ言えることは、この時、イスラエルの人々は、「少数者、マイノリティに生きた」ということなのだと思います。イスラエルの人々の父と言われるアブラハムは、もともとメソポタミヤ出身でしたが、そこから主に導かれてカナンの地にやって来ました。カナンの地では全く身よりのない、よそ者としての歩みが始まりました。ただでさえ、身内がいないのに、中々子どもにも恵まれず、まさにカナンの地で少数者、マイノリティとして生きたのです。そういう状況の中で、「自分たちは一体何者なんだろう」とか、「こんなちっぽけな自分たちに何ができるんだろう」と思えるような状況があったのではないかと思います。そんな状況の中で、神様がアブラハムに呼びかけ、満天の夜空をさし示し、あなたに続く子どもたちはあの星のようになっていくんだと語られました。そして、「諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出る」(創世記17:6)と語られたのです。アブラハムは、この神様の約束を信じ、その約束に励まされながら、吹けば飛んでしまいかねないようなちっぽけな目の前の現実を生きたのです。
しかし、聖書がは、そんなマイノリティである彼らを神様は目を留めていてくださり、顧みてくださったということでした。イスラエルの人々は、本来、本当に小さな群れで、ある意味、聖書が注目していなかったら、誰も彼らのことなんか知らなかったような人々だったのではないでしょうか。しかし、神様はそんなイスラエルの人々に目を留めていてくださり、顧みてくださいました。そのようにして、守られ、導かれていったのが、「アブラハムからダビデまでの時代」なのだと思うのです。