本日のローズンゲンの御言葉です。
「わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり/嘆きもあなたには隠されていません。」詩篇38:10
「信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。」ヤコブ1:3
昨日、テレビを見ていたら、こんなやり取りがありました。一人の女優さんが最近、はまっていることとして、「球根をプレゼントすること」を挙げていました。「ずいぶん、変わったものをプレゼントしますね」と言われると、その女優さんはこんなふうに答えていました。
「少し前に、ある方から球根をもらって、『いついつに植えてくださいね』と言われていたのですが、忘れてしまっていたことがありました。だいぶ遅れた後、慌てて、その球根を植えたのですが、それでも球根は皆、きちんと花を咲かせました。そのことに感動して、それから知人に球根を送ることにしたんです。」
すると、それに対して、周りの人は「だけど、球根をもらったほうとしては、鉢植えや土なんかを色々と準備しなければいけないから大変ですね」と冗談のように言っていました。すると、その女優さんも笑いながら、「植えた後、春になればきっと感動しますよ」と言っていました。それに対して、「春まで待たなければなりませんか」と笑いながら話していたのですが、そのやり取りを聞きながら、色々なことを思いました。
本日の箇所には、次のように記されています。
「信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。」
ここで「忍耐」ということが言われていますが、ここで使われている言葉は「ヒュポモネー」という言葉です。この言葉が使われている別の箇所があります。
「良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」(ルカ8:15)
ここは、有名な「良い土地に御言葉の種を蒔いた人」の箇所です。この時、イエス様は、良い土地に蒔いた御言葉の種を蒔いた人として、その人たちは「立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たち」なんだと言われました。ここで「忍耐して」と言われているところで、「ヒュポモネー」という言葉が使われているのです。このルカによる福音書の御言葉と、本日のヤコブの手紙の御言葉は繋がっているのではないかと思います。信仰に試されながら、忍耐をもって歩んでいく…。その様子というのは、まさに大地に種を植え、時間をかけて、その種を育んでいく様子と繋がっているのではないかと思うのです。そして、それというのは、先ほどの女優さんの言葉とも重なってくるのではないでしょうか。私たちが種や球根を植え、それを育んでいこうとしていく時、すぐには答えは出ないかも知れません。何で、こんな苦労をしなければならないんだろうと思うようなこともあるかも知れません。しかし、時が巡りくれば必ず、実りをもたらすものとなるのだと思いますし、その時の感動は、種を植えた者にしか分からない特別なものであるのです。それが神様が私たちを招いている祝福の世界なんじゃないかなと思いました。そんなことを思わされながら、私たちも私たちの心の中に、御言葉の球根を植えていきたいも思いました。