本日のローズンゲンの御言葉です。

「あなたたちに触れる者は/わたしの目の瞳に触れる者だ。」ゼカ2:12

「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。」ローマ8:33

本日の御言葉には、次のような御言葉が記されています。

「あなたたちに触れる者は/わたしの目の瞳に触れる者だ。」

 聖書の中には、時々に神様が私たちを「ご自身の瞳のようにして守ってくださる」ということが記されています。ここでもそのように不用意に私たちに触れようとするということは、神様の目の瞳に触れるということなんだということが書かれているのです。私たちが自分の瞳を何より大事に守るように、主は私たち一人一人のことを守ってくださる…。そのように記されているのです。本日の御言葉を読みながら、ふと思い出した一枚の絵があります。激しい流れの川を小さな男の子が渡っていて、それを少し大きな女の子が抱きかかえながら、渡っている絵です。川の上の橋は古く、今にも壊れそうなのですが、その橋を子どもたちだけで渡っていかなければならないのです。遠くのほうには雷も見えます。本当に危険な状況なのだと思います。しかし、そんなふうに渡る二人の背後を天使が片時も離れずに見守っているのです。以下のような絵です。

本日の御言葉を読みながら、この絵を思い出しました。昨日は礼拝後、女性会の方々はバザーの準備をしていました。また、クリスマスの向けての聖歌隊練習や、トーンチャイムの練習などもしていました。バザーにしても、クリスマス礼拝にしても、今後のコロナの状況を考える時、無事行なえるかどうかも分かりません。慎重に状況を見極めながら、一つ一つのことを行なっていきたいと思っています。そんなふうに、私たちの現在の歩みというのは、あの絵のように激流の上、不安定な橋を上を歩いているような、そんな状況があるかも知れません。しかし、それでもそのただ中に主が共にいてくださることを覚えていきたいと思います。色々なことを思う時、心配事があったり、不安があったりしますが、そんな私たちを主は御自分の瞳のように思い、見守り、支えてくださっているんだということを覚えていきたいと思います。

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