「星に導かれて」

マタイ2:1-12

本日の箇所は、東の国の占星術の学者たちが、お生まれになったばかりのイエス様に会うために、東の国から旅をしてやってきたという箇所です。この箇所を読む度に思い出すことがあります。以前、ある女性からこんな質問を受けました。「聖書には心惹かれるんですが、どこかひっかかるところがあるんです。私たちの現実を見る時に、理不尽な事件だったり、出来事が起こる度に、何でこんなことが起こるの?神様何でこんな世界を造られたの?こんなこと許されているの?本当に神様っておられるの?そんなふうに思ってしまうんです。先生はどう思いますか。」私はその方に対して、「申し訳ありません。私には分からないです。神様には、私たちの考えも及ばないようなご計画や御旨というものがあるのだと思います」と話しました。ただそれに加えて、こんなお話しをしました。

「このことは、質問の答えにはならないと思います。ただ、大切なこととして思うのは、私たちの目の前の世界が、どんなに理不尽で矛盾だらけの世界に見えたとしても、それでも神様はおられるのだということです。この世界に神様は今も生きて働いてくださっているのだと思います。そして、この世界に救いの御業をなし続けてくださっているのだと思います。まさに最初のクリスマスこそ、そのような出来事だったのだと思います。最初のクリスマスの出来事が起こった2000年前のユダヤの国というのは、まさに理不尽なことばかりで、何で?と思うようなことばかりがあった時代でした。この時代というのは、ローマ帝国が世界を支配していた時代です。ユダヤの国もローマに支配されていました。その圧倒的な力で、国々を侵略、制圧し、その頂点に立つローマ皇帝は自分こそ神だと宣言していきました。しかし、そんな世界の中にあって、神様が救いの御業をなされ、神のひとり子イエス・キリストをお遣わしになったのです。そして、占星術の学者たちは、夜空に神の救いのしるしを見つけ、その星を頼りに、神の救いの御業を目撃するために旅に出かけていきました。彼らは理不尽で矛盾だらけの世界を見渡しながら『神様って本当におられるんだろうか』という思いになるのではなく、『今のこの世界の中、神様はどこにおられるんだろう』『どこから救いの業を始めようとされているんだろう』と考えました。そういう思いでもって、真っ暗な夜空を見渡し、わずかな星の輝きに、神様の救いのしるしを見出し、探し求めて、旅立っていったのです。私たちもこの理不尽なことばかりの世界の中で、占星術の学者たちのように、『この世界の中、今、神様はどこにおられるんだろう』というまなざしでもってこの世界を見つめることができたらと思います。」

もう10数年前の話ですが、今も時々に思い出します。特に今年はそうでした。今年は本当に大変な一年でした。そんな中、先ほどの女性のように「本当に神はおられるの?神はどうしてこんな世界を造られたの?」と思ってしまうようなこともあるんじゃないかと思います。そんな中、本日の箇所の占星術の学者たちの姿のように、それでも神様の救いのしるしを求めていけたらと思います。

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