「サライから子が生まれる」

創世記17:15-27

本日の箇所でアブラハムは神様から「サライによってあなたに男の子を与えよう」と言われた時、その言葉をすぐに受け止めることができませんでした。それはこれまでの色々なことが背景としてあったのだと思います。そんなアブラハムにとって、改めて、神様の御業を信じ、期待するということは、大きなチャレンジだったのだと思います。アブラハムは自分の後継者のことについては、これまで幾度となく、「またダメか」「まだなのか」という思いを経験してきました。そんな中、ようやくイシュマエルが与えられたわけです。イシュマエルはサライの子どもではありませんでしたし、本来、自分たちが願っていたような形での後継ぎではありませんでした。しかしながら、アブラハムとしては、「それでもいい」と自分自身を納得させていたところもあったのではないかと思います。しかし、そんな中で、神様から「サライによってあなたに男の子を与えよう」と言われたのです。神様の言葉を聞いたアブラハムは「ひれ伏した」と記されていますが、「しかし笑って、ひそかに言った」と記されています。この記述にアブラハムの色々な思いが込められているのではないでしょうか。なぜアブラハムは笑ったのでしょう。まさか今更、自分とサライの間に子どもが産めるわけがありません。何よりそういう思いだったのだと思いますが、同時に、これまで後継者問題で、散々苦労してきました。そんな中、ようやくイシュマエルが与えられて、これで良しとしていたところなのに、今さらまた、そんなこと言われても…。そういう戸惑いもあったのではないかと思います。いずれにしましても、そのように戸惑い、心振るわれながらも、アブラハムは「それでも神様を信じよう」という思いで神様からの御言葉の約束を受け止めていったのだと思います。そんなアブラハムの信仰を覚えていたいと思います。アブラハムと同様に、聖書に書かれている信仰者たちは、しばしばそのような思いを通らされながら、神様を見上げていきました。

 ローマ4:18-22には、本日の箇所でアブラハムがどういう思いで神様の言葉を受け取ったのかということが記されています。この時のアブラハムの状況としてまず言われているのは、「彼は希望するすべもなかった」(ローマ4:18)ということでした。アブラハムはこの時、アブラハム自身が置かれた状況として、何かにすがったり、期待をしたりするというすべがありませんでした。その中で、アブラハムができたことは、ただただ神様に事柄を明け渡して、信じ、ゆだねることだけでした。自分は百歳になり、サラも九十歳となり、いよいよもってどうしようもありません。そんな中、もう神様に明け渡して、ゆだねるしか、仕方なかったのです。そんなアブラハムに神様は応えてくださったのでした。アブラハムは神様から『あなたの子孫はこのようになる』と言われていたとおりに、多くの民の父となったんだと言われているのです。まさにアブラハムは、歳を重ね、かつてできていたことが、以前のようにはできなくなってしまう中、いよいよもって、そういう自分をそのまま、神様に明け渡し、ゆだねて歩もうとする…。そのような信仰に生かされたのです。

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