創世記18:9-15

「あなたは笑った」

本日の箇所は先週に引き続き、アブラハムが三人の神の御使いと食卓を囲んでいた時の記述です。御使いは言いました。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう」(18:10)。この時、アブラハムは99歳、サラは89歳でした。サラにしてみれば、御使いの言葉など、とてもすぐには受け止められませんでした。ですので、サラはその話を聞きながら思わず、「年を取った自分が子どもなんか産めるわけがない」と思って、ひそかに笑いました。すると、御使いはそのことを指摘し、「なぜサラは笑ったのか」と言ったのです。遠くにいたサラは、御使いからそんなふうに言われてしまって、焦ってしまいます。慌てて、「わたしは笑いませんでした」と言いました。しかし、御使いは、「いや、あなたは確かに笑った」と言ったというのです。

この箇所を読みながら、どう思うでしょう。私には神の御使いの言葉を受け止められず、笑ってしまうサラの姿がよく理解できます。そして、サラが笑ったことを御使いが指摘したことに対して、正直、何で?と思ったりするのです。サラがこの時笑ったことは、そんなに不謹慎だったのでしょうか。問い詰められなければならないことだったのでしょうか。サラは心の中で密かに呟き、誰も見ていないようなところでひそかに笑っただけなのです。そんなにいけないことだったのでしょうか。私はそんなふうに思いながら、何でこんなにサラは御使いから「あなたは確かに笑った」と言われているんだろうと思っていました。創世記17章には、アブラハムは本日のサラと同じように、主から「彼女(サラ)によってあなたに男の子を与えよう。」(17:16)と語られたことが記されています。しかし、その時、アブラハムは「そんなことあるだろうか」(17:17)と言って笑ったというのです。しかし、その時のアブラハムは、本日の箇所のように笑ったことを問い詰められてはいません。何で、サラだけが「なぜサラは笑ったのか」、「いや、あなたは確かに笑った」と言われているのでしょう。何かサラだけ可哀想な気がしてなりませんでした。

しかし、よくよく考えます時に、この御使いの態度に大切なメッセージが込められているのではないかと思います。何より思います。サラはこれまでこの後継者の問題で、これまでどれだけ悩んできたのでしょうか。アブラハムもそうだと思いますが、サラはそれ以上だったのだと思います。そんなサラにしてみれば、御使いから「サラに男の子が生まれている」と言われても、「今更そんなこと言われても信じられるわけありませんよ」という思いがあったのだと思います。主は誰よりもサラの思いをご存知だったからではないでしょうか。これまでずっと一人で色々なものを抱え込んできて、たくさん悩み、傷つき、苦しんできたサラの思いを主はご存知だったのだと思います。そして、そんなサラのことをそのまま見過ごすことができなかったのだと思います。それだからこそ、本日の箇所で、主の御使いはサラに対して、しつこいほどにこだわって、向き合おうとされたのではないかと思うのです。

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