本日のローズンゲンの御言葉です。
「この民は、口でわたしに近づき/唇でわたしを敬うが/心はわたしから遠く離れている。」イザ29:13
「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」Ⅰヨハ3:18
今朝、次のような記事を見つけました。
《「かつて沖縄にあった『黒人街』 50年前の“コザ騒動” 知られざる共鳴」
コザ騒動から50年がたった20日、騒動発生前後の旧コザ市照屋にかつて存在した「黒人街」の視点から騒動を考えるイベントが、沖縄市照屋の銀天街プラザで開かれた。 コザ騒動では、黒人の車両には危害を加えなかったなどの証言が紹介され、米軍統治下で人権侵害に苦しむ沖縄住民と米国で人種差別を受ける黒人の間にあった連帯感について、参加者らが語り合った。 銀天街で「コザXミクストピア研究室」を開いている主催者の池原えりこさんは、騒動から数日後、在沖米軍基地で働く黒人の米兵らが「沖縄の人々は米軍支配下で不当な扱いを受けている」との内容のビラを作成したと説明。「基地の兵士という『権力側』との矛盾を抱えた上で、両者は連帯していた」と評した。ことし全米に広がった人種差別に反対する運動「ブラック・ライブズ・マター」については「人間としての平等性を主張したものであり沖縄の『命どぅ宝』と共鳴している」と話した。》(『沖縄タイムス』2020.12.21)
『コザ騒動』とは、1970年(昭和45年)12月20日未明に起こった事件です。当時、アメリカ軍人が、沖縄の人をひいた交通事故が起こりました。この事故で被害者への賠償は認められたものの、加害者は証拠不十分として無罪判決を下されることになります。沖縄の人たちの多くが、この判決に憤り、12月16日に糸満町で抗議県民大会が開かれました。加えて、当時、ベトナム戦争用の兵器として、コザ市に隣接する美里村(現沖縄市)知花弾薬庫などに米軍が致死性の毒ガス(主要成分はイペリット・サリン・VXガス)を秘密裏に備蓄していました。しかし、そのことのガス漏れ事故が発生し、軍関係者24人が中毒症で病院に収容されたという事件なども起こっていました。そのような積み重なるに米施政下での圧制、人権侵害に対する反発が爆発するような形で、沖縄のコザ市(現在の沖縄県沖縄市)でアメリカ軍車両および施設に対する焼き討ち事件が起こったのです。『コザ騒動』については、以前から聞いていましたが、その騒動の背後でこんなことがあったことは初めてでした。当時、沖縄に『黒人街』なる場所があったことも初めて聞きました。また、そこに住む黒人たちが同じアメリカ軍に属していても、やはり酷い扱いを受けていたということや、沖縄の人たちはそのことを知っていて、そこには共鳴する思いがあったのだということも初めて知りました。今回の記事を読みながら、思い出したことがあります。それは、私が東日本大震災を経験した時のことです。福島の原発事故の中、沖縄の人たちが私たちのことを支援してくださいました。その時におっしゃっていたのが、「沖縄には基地が押し付けられていますが、福島の人たちは原発を押し付けられているんですね。」という言葉でした。そんなふうにおっしゃりながら、私たちの痛みをくみ取ろうとしてくださっていた沖縄の人たちの姿と、コザ騒動で「黒人街」の人たちと思いを共鳴している姿が重なってくるように思いました。
本日の箇所には次のように記されています。
「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」
「愛し合う」こと、その最初は、私たちが目の前にいる人の思いだったり、痛みというものを、私たちなりにくみ取ろうとしていくことから始まるのではないでしょうか。そんなことを思いながら、今朝見た記事を思いました。私たちがそんなふうに互いに互いを思いやることができたら、きっとそこから始まる何かがあるのだと思います。何より、今も痛みや困難の中にある「沖縄」の人たち、「ブラック・ライブズ・マター」を叫ぶ人種差別に痛む人たち、そして、原発事故に痛む人たちの上に一日も早い解決と回復がなされることを祈ります。