「わたしたちのところへ来てくれる人はいません」
創世記19:30-38
本日の箇所には、一夜にして滅んでしまったソドムの町から命からがら逃げ出してきたロトとロトの娘たちのその後の記述が記されています。ロトたちはソドムの町の滅亡から逃れるため、ツォアルの町まで逃げてきました。この町は、ロトたちが主にせがんで、「そこに行かせてください」と願った町でした。ロトたちにしてみれば、ここまで来れば何とかなるという思いがあったのだと思います。しかし、結局、この町から出ていくことになります。聖書には、ロトたちが「ツォアルに住むのを恐れた」と書かれています。この町で何かがあったのでしょうか。あるいは、ソドムの町が滅びてしまった恐れから、この町もやがて滅びてしまうんじゃないか…。そんなふうに不安になったのでしょうか。理由は分かりません。でも、ここに来れば何とかなると思っていたロトたちにしてみれば、さらに絶望的な思いだったのではないでしょうか。ロトやロトの娘たちはどこにも行く場所がありませんでした。結局、彼らは洞窟に住みつくことになったのでした。
洞窟での父と娘たちだけの生活が始まりました。洞窟の暮らしで、不自由ではありましたが、何とか生活のめどが立ちました。しかし、このままではどうにもなりません。これからどうしていくのか…。ロトの娘たちは二人で話し合い、ロトにぶどう酒を飲ませ、酔っている間に、ロトから子種をもらって、子どもを作ることを決めました。そして、お父さんを酔っぱらわせ、姉も妹もそれぞれ子どもをもうけたと記されているのです。
ロトの娘たちのことを思う時、本当にいたたまれない思いにさせられます。それだけ切羽詰まった状況だったんだなと思うのです。しかしながら、その一方、本日の箇所を読む時に「ロトはいったい何をしているんだろう」と思います。ロトは彼女たちの父親であり、一族の長でもありました。そんなロトはここで一体何をしているのでしょうか。彼女たちがあれこれとしている時に、ただ酒に酔ってしまっているロトは一体何をしているのでしょうか。
ロトはこの状況の中で必要だったのは、全部の問題を受け止めて、解決してくれるような、何でもできる「頼りになるスーパーマン」のような父親になることではなかったんだと思います。そうではなくて、「これまで自分たちを導いてくださったお方が誰なのか」ということを彼女たちにきちんと伝えることだったのではないでしょうか。実際、そのことを誰よりも知っていたのは、ロトだったのだと思います。ロトは若い頃はずっと、アブラハムと共に過ごしてきました。その時、何度なく、アブラハムから神様のことを聞いてきたのだと思いますし、実際にアブラハムを通してなされた神様の御業というものも見てきたのだと思います。また、ロト自身、様々な経験を通し、神様と出会い、身をもって神様の憐れみや助けを経験してきたのだと思うのです。そんなロトは、誰よりも「これまで自分たちを導いてくださったお方が誰か」ということを知っていたのではないでしょうか。そんなロトだからこそ伝えることができたことがあったのだと思います。ロトがしなければならなかったことは何より、そのことだったのではないかと思うのです。