「そこからネゲブ地方へ移り」

創世記20:1-18

本日の箇所を読みながら、「あれ?」と思われた方はおられるでしょうか。あれ?これ話し、どっかで読んだような…。そんなふうに思われた方がおられるんじゃないかと思います。実は本日の箇所というのは、よく似ている箇所があります。すでに読んできた創世記12:10-20です。場所こそ違いますが、本日の箇所に記されている内容とよく似ています。ゲラルという地に住んでいた時、アブラハムが周りの人に妻サラのことを「これはわたしの妹です」(20:2)と紹介し、結果、サラは、その地の王様であるアビメレクに召し入れられることになっていきました。しかし、その後、アブラハムとサラとが夫婦であることが発覚します。そのことを知ったアビメレクは慌てて、アブラハムを呼び寄せ、「あなたは我々に何ということをしたのか。~あなたは、してはならぬことをわたしにしたのだ。」(20:9)と言ってアブラハムを咎めたというのです。

 本日の箇所が余りに創世記12:10-20の箇所とそっくりなので、本当はこの二つの話は、同じ話なんじゃないかと考える人もいます。そんなふうに、色々な読み方ができるのですが、私はやはりこの記述を創世記12:10-20とは別の記述としてとらえて読んでいきたいと思っています。と言いますのは、この箇所を読む時、私の中で一つ大きく考えさせられることがあるからです。創世記19章には、ソドムとゴモラの裁きの記述が記されています。罪や悪で満ちたソドムとゴモラの町を神は天からの硫黄の火によって裁かれました。アブラハムはその翌日、その光景を目の当たりにしたのです(19:27-28)。アブラハムはこの光景をどんな思いで見つめていたのだろうかと思います。アブラハムはソドムの町が滅ぼされる前日、神様に命がけで取り成しを訴えていました。ソドムの町の滅びを見たアブラハムは、どんな思いだったでしょう。言葉では言い表せないような思いだったのではないでしょうか。本日の箇所はその後の記述です。ソドムの町の滅亡を目の当たりにしたアブラハムが、その後、どうなっていったのかということが本日の箇所に書かれているのです。創世記18章に記されているアブラハムというのは、本当に力強い信仰者でした。しかし、本日の箇所のアブラハムとはそれとは別人のようです。そういうふうなことってあり得るんじゃないでしょうか。私たちも時に自分の信仰がふるわれるような経験をさせられることがあるかも知れません。色々な経験を通して、何で?どうして?そんなふうに、それまで信じていた色々なことがガラガラと崩れ落ちて、何もかも分からなくなってしまうような…。そんな経験をさせられることがあるかも知れないと思うのです。そんな中で、アブラハムがそうであったようい、まるで別人のように変わってしまうことがあるかも知れないと思うのです。

しかし、そんなアブラハムが最終的に、本来の自分の信仰を回復させることができた…。それが本日の箇所に記されている聖書のメッセージなのではないでしょうか。しかも、ただただ一方的な神様の取り扱いで、神様の恵み、神様の憐れみとしか思えないような仕方で、アブラハムは、自らの信仰を回復させられていったのです。

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