本日のローズンゲンの御言葉です。

「わたしの言葉は火に似ていないか。岩を打ち砕く槌のようではないか、と主は言われる。」エレミヤ23:29

「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。」ルカ12:49

先日、2021年1月22日に核兵器禁止条約が発効されました。この条約は、将来的な核兵器の全廃へ向けた、核兵器を包括的に法的禁止とする初めての国際条約です。世界各地では52ケ国がこの条例に批准をし、発効に必要な50か国の批准に達したため、2021年1月22日に発効となりました。条例の前文では、被爆者の苦痛に対する憂慮と共に、国際人道法と国際人権法の原則が、核兵器廃絶に関して再確認されています。本当に歴史的な条例が発効された大切な日なのだと思います。

本日の箇所には、次のように記されています。

「わたしの言葉は火に似ていないか。岩を打ち砕く槌のようではないか、と主は言われる。」

ここには、神様の言葉を軽んじている人々に対しての警告の言葉が述べられています。神様の言葉は「火」であり、「岩を打ち抜く槌」であるんだ…。そのようなものとして受け止めながら、神様の言葉を重んじ、その言葉に燃やされ、砕かれるよう呼びかけられているのです。しかし、人々はその神の言葉を重んじず、その言葉に聞こうとしなかったため、自ら滅びの道に向かうことになってしまいました。

本日の箇所を読みながら、ふと先日、発行された核兵器禁止条約のことを思いました。核兵器のない世界を…。それは本当に大切なことですし、そのような条例が発効されたことはすばらしいことだと思います。しかし、一方でこの条例にはアメリカを始め、核保有国が批准をしていません。また、日本を始め、アメリカ軍の核の傘の下にある国々も批准していません。このため、この条例がどれだけ効力があるのかということについては疑問を投げかける人もいます。

そんな中、改めて思うのは、いくら素晴らしい条例が出されても、人々がそれを重んじ、守ろうとしないとするなら、その言葉は意味を失ってしまうということです。神の御言葉が決して軽んじて構わない言葉ではないように、この条例が語っている言葉も軽んじて構わない言葉ではないのだと思います。特に広島、長崎で原爆投下の痛みの歴史を知っている私たちにとっては、なおさらそうなのだと思います。そんな中、重んじるべき言葉をきちんと重んじることができるようにということを思わされました。その先に本当の意味での希望に輝いた世界は築かれていくのだと思うのです。

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