本日のローズンゲンの御言葉です。

「罪人らのことに心を燃やすことはない/日ごと、主を畏れることに心を燃やすがよい。」箴23:17

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」ルカ23:34

昨日、無事、義父の召天一周年記念式が行われました。記念式の中で、昨年行なわれた義父の葬儀の時のことについて、話をしました。義父が亡くなったのは、コロナの緊急事態宣言が出される直前でした。本当にバタバタとした中での葬儀を行なっていましたが、今振り返って思いますのは、あの葬儀のおかげで、その後のコロナの色々なことに対して、心備えをすることができたように思うのです。葬儀の際、義母が私の息子にこんなことを言ったそうです。

「あなたのおじいちゃんはね。何かすごい奇蹟を見たから神様を信じるようになったわけではないのよ。身近な家族がどんなに大変な状況でも忍耐している姿を見て、『どうして、あんなふうになれるんだろう』って思ったの。その信仰を持ちたいって思ってバプテスマを受けたのよ。」

実家から帰って来た後、息子から義母の言葉を聞かされたのですが、その後、コロナの色々なことに向き合わされながら、何度も思い出した言葉です。コロナの問題は先が見えず、不安や悩みは尽きませんでした。気持ちとしては、すぐさま、この問題が解決し、日常を取り戻したいという思いがありました。しかし、現状はそうはなりませんでした。そんな状況に心が萎えてしまいそうになることもありました。ですが、そういう状況の中で、義母の言葉に教えられ、私たちが与えられた信仰の意味を改めて噛み締めるような思いにさせられました。それは私にとって、コロナに向き合う大切な心備えとなっていったことを思うのです。

本日の御言葉には、次のように記されています。

「罪人らのことに心を燃やすことはない/日ごと、主を畏れることに心を燃やすがよい。」

本日の御言葉を読みながら、改めて義母の言葉を思い出しました。本日の御言葉でも言われているように、日々の歩みの中で、つい神様以外のものに心奪われてしまいそうになる私たちがいます。コロナのことでも、すぐに目の前のことでいっぱいいっぱいになってしまう自分がいました。そんな中で、神様を見上げようとしていくことができる時、自分が本当はどこに立っていかなければならないかを教えられてきました。まさに、何よりもまず、主を畏れることに心を燃やすことが大切なんだなということを思わされたのです。改めて、その信仰を見失わないでいたいと思いました。

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