本日のローズンゲンの御言葉です。

「それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。」イザヤ53:12

「悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」ルカ6:28

本日の箇所には、次のように記されています。

「悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」

本日の御言葉を読みながら、改めて思ったことがあります。それは私たちというのは互いにどんな時でも祈りによって繋がることができるんだなということです。祈祷会では、時々にお祈りが終わった後に集合写真を撮ることがあります。そして、その写真を入院中の方や病気療養中の方などに送ったりしています。私たちの祈りの思いを少しでも届けたいという思いからです。

そのようなことを始めたのは、私自身の経験があるからです。私が福島にいた時、水曜日の夜必ず届くメールがありました。それは長崎の多良見伝道所からのメールでした。多良見伝道所の祈祷会のメンバーが移され、一言「福島のことを今日も祈りました」とコメントが書き添えられていました。多くのことは語られていなかったのですが、その写真と言葉で本当に励まされたことを覚えています。私たちは時に一緒の場所にいれないことがありますし、交わりを持ちたいと思っても何もできないようなことがあったりします。しかしながら、そのような状況に置かれていても、祈りによって繋がることができるのだと思うのです。そして、それというのは、たとえそれが私たちにとって苦手な相手、私たちに「悪口を言う者」だったり、私たちを「侮辱する者」に対しても、そのように繋がることができるんだなということを思いました。改めて、これは信仰者としての特権なのだと思いました。私たちは自分たちでできることには限りがあるのだと思います。ですが、私たちには祈りがあります。私たちの内に今も生きて働いて、私たちを互いに繋いでくださる方に向かって祈るのです。この方を見上げながら、互いに結ばれ、関わりあっていくことができたらと思います。

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