本日のローズンゲンの御言葉です。
「あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い/とこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ/あなたによって喜び誇ります。」詩編5:12
「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」使徒13:52
本日、K姉の葬儀告別式が行われます。昨日、K姉の納骨式を行ないました。その際、K姉の娘さんからこんなことを言われました。
「昨日、家に帰った後、郵便受けに姪浜教会の皆さまが書かれた寄せ書きを見ました。この寄せ書きを母の棺に入れさせていただきたいと思います。」
寄せ書きの言葉は、K姉に届くことがありませんでしたが、改めて、祈りをもってこの言葉を送りたいと思います。どうぞ本日の告別式のためにお祈りください。色々考えて、本日の告別式では、ヨハネ9:1-3の御言葉を取り上げることにしました。
「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」(ヨハネ9:1-3)
ここに記されているのは、イエス様とイエス様の弟子たちの会話です。イエス様たちが歩いていた時、目の前の生まれつき目の見えない人を見かけました。弟子たちはイエス様に対し、「この人が生まれつき目が見えないのはなぜですか」と尋ねます。このような辛い目に遭うのは、誰かが罪を犯したことの神様の罰なんじゃないかと考えたのです。そして、「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか」と尋ねたのでした。これに対して、イエス様は「この人が目が見えないのは、だれかが罪を犯したからではないんだ。そうじゃなくて、神の業がこの人に現れるためなんだ」とお話になったのです。
今回、K姉はご自身の愛唱聖句として、この箇所を挙げていました。また、姪浜教会の50年誌では、この御言葉について「この御言葉に慰められ励まされ、そして生命を与えられました」と書いておられました。それだけK姉にとって、この御言葉は心に響くものだったのだと思います。K姉が教会に最初に来られたのは、19歳の時でした。この時、K姉は心臓の手術を受けなければならないと言われていたそうです。ですが、当時の状況というのは心臓手術も始まったばかりで、成功率は50%だと言われていたそうでした。手術が無事成功するかも分からず、不安や孤独の中で、K姉は「どうして私に」という思いで一杯だったそうです。そんなK姉にとって、ヨハネ9:1-3の御言葉は、ご自身のことのように迫ってきたのだと思います。「どうして私がこんな目に遭わなければならないのだろうか」「私が何か悪いことをしたからこんな目に遭っているのだろうか」そんな思いにさせられてしまいそうな中で、「そうではなくて、神の業が現れるためなんだ」という御言葉に慰められ、励まされたのだろうと思うのです。K姉は教会に集うようになり、教会の皆に祈って頂き、その祈りに支えられながら、無事手術を乗り越えることができました。その後、K姉はバプテスマを受けることを決心したそうです。
本日の箇所には、次のように記されています。
「あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い/とこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ/あなたによって喜び誇ります。」
本日の御言葉を読みながら、K姉のことを思いました。病の中、イエス様に出会い、イエス様のメッセージに慰められ、励まされながら、生命が与えられるような経験をしながら、まさにK姉は拠り所、避け所を見出すことができたのではないかと思います。そんなK姉のことを思いつつ、全てのことを委ね、告別式に心備えていきたいと思います。