本日のローズンゲンの御言葉です。
「一緒に行った者たちは民の心を挫きましたが、わたしはわたしの神、主に従いとおしました。」ヨシュア14:8
「あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。」黙示録3:11-12
本日の箇所には次のように記されています。
「一緒に行った者たちは民の心を挫きましたが、わたしはわたしの神、主に従いとおしました。」
この言葉が、カレブが語った言葉です。カレブについては、民数記13-14章に記されています。かつてイスラエルの民が荒れ野の旅をしていた時、モーセが12部族の中からそれぞれ代表を選んで、カナンの土地を偵察に行かせたことがありました。彼らはしばらくして帰ってきましたが、偵察隊のほとんどが「我々が偵察して来た土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない」(民数記13:32-33)と語り、あんなところに住むのは無理だと怖気づいてしまったのです。そのような中にあって、カレブとヨシュアだけは勇敢に訴えました。
「我々が偵察して来た土地は、とてもすばらしい土地だった。もし、我々が主の御心に適うなら、主は我々をあの土地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる土地を与えてくださるであろう。ただ、主に背いてはならない。あなたたちは、そこの住民を恐れてはならない。彼らは我々の餌食にすぎない。彼らを守るものは離れ去り、主が我々と共におられる。彼らを恐れてはならない」(民数記14:7-9)。
そのようにカレブとヨシュアだけが、神の約束を信じて、この土地は神が自分たちに与えてくださるということを確信したのです。その後、荒れ野の旅で、カレブとヨシュアの以外の人々は息絶えてしまい、二人だけが約束の土地に入ることができることになりました。まさにカレブは、主は約束されたことを必ず成し遂げられるんだという信仰に生き、その信仰の確かさを自ら経験してきた人物でした。カレブはカナンの地に入った後、40年数前の出来事を振り返り、あの時、「一緒に行った者たちは民の心を挫きましたが、わたしはわたしの神、主に従いとおしました」と語りました。そして、「主は約束どおりわたしを生き永らえさせてくださいました」と語ったのです。年老いたカレブの言葉は、まさに人々にとっての「生きた証」でした。この言葉はどれほど人々を勇気づけ、励ましたことだろうかと思います。現在のコロナの状況の中で、こんなことをおっしゃっている方がいました。
「今、私たちは本当に大変な経験を通らされているけれど、きっとこのような状況の中で特別な神様の取り扱い、出会いを経験していくことがあるんじゃないだろうか。それは私たちのこれからの歩みにとって、かけがえのない宝物となっていくのだと思います。神様はあの時にも共にいてくださった、私たちを支えてくださった、神様は本当に生きて働いておられるんだ、ということは、その後の私たちにとっての励ましとなり、支えとなっていくんじゃないだろうか。」
本日の箇所を読みながら、改めて、そのことを思い出しました。私たちは現在、毎週の礼拝で「約束してくださったのは、真実な方なのですから」と讃美していますが、まさにこのコロナの只中で、「真実の方」に出会う経験をしていくことができたらと思います。