本日のローズンゲンの御言葉です。
「耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。」イザヤ55:3
「わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。」ルカ6:47-48
本日の箇所には次のように記されています。
「わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。」
この御言葉はイエス様が語られた言葉ですが、イエス様はこの御言葉の前に次のように語られました。
「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか」(ルカ6:46)。
イエス様はここで、イエス様に対して、「主よ、主よ」と祈り求めながら、何もしようとしない・・・。イエス様を求めながら、その言葉に聞き従おうとしていない・・・。そんな人々に対して、「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか」と問いかけられたのです。もし御言葉を聞くだけで終わってしまって、御言葉に具体的に応えていかないとするなら、それは肝心なものが抜け落ちてしまうことになる・・・。それは、しっかりとした土台のない家のようなもので、どれだけ見た目には立派に見えたとしても、いざと言う時には簡単に崩れてしまう・・・。そのように肝心な部分が抜け落ちてしまうことになるんだとおっしゃったのです。それに続いて、語られたのが本日の箇所です。本日の箇所で大切なのは、具体的に御言葉に応答するということなのだと思います。地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てる人のように、御言葉に具体的に応答しながら、その御言葉を基として生きるようにと招かれているのだと思います。この御言葉を読みながら、「自分は御言葉を聞くだけで行なっていない。そんな自分は、ダメだ」というふうに責めるような思いで聞くことはしないようにしたいと思います。祝福の招きとして、聞いていきたいと思うのです。私たちが神様から祝福を具体的にいただくためには、神様の招きに具体的に応えていくことが大切だと思います。私たちの中で、御言葉が具体的なものとなり、具体的な歩みの中で、具体的に御言葉に聞き、具体的に応えていく時、私たちが御言葉を通して受ける祝福も具体的になるのです。私たちが主の御言葉を表面的にだけでなく、具体的に聞きながら、応えていく時、御言葉は本当の意味で力あるものとなり、命の言葉となっていくのです。これに対して、御言葉を聞くだけで終わってしまっているとするなら、どんなに素晴らしい御言葉のメッセージを聞いていたとしても、それは本当のもったいないです。私たちの中で御言葉が具体的なものでないなら、私たちは御言葉の具体的な力に、命に、祝福に生かされることがないのです。その結果、御言葉が私たちを留める土台になっていきません。それは私たちがせっかくの祝福を取りこぼしてしまっていることに他ならないのです。ですから、私たちが神様から祝福を具体的にいただきたいと願うなら、その歩幅は、それぞれの歩幅で構わないから、それぞれ神様の招きに具体的に応えていくことが大切なのです。