「手放してはいけないもの」

創世記25:27-34

イサクとリベカから生まれたエサウとヤコブは成長し、それぞれ狩人と、天幕の周りで働く者となりました。ある時、エサウが狩りから帰ってくると、ちょうど、ヤコブがレンズ豆のスープを作っていたところでした。それまで散々野原を巡り、エサウはよほど疲れきっていて、お腹も空いていたと思います。エサウはヤコブに対して「お願いだから、それを食べさせてくれ」と願います。しかし、これを聞いたヤコブは「それなら、お兄さんの長子の権利を譲ってほしい」と言い出しました。長子の権利というのは、長男だけに与えられる特別な権利です。エサウとヤコブは双子でしたが、エサウのほうが早く生まれたので、お兄さんでした。このため、生まれながらに長子の特権が与えられていました。しかし、エサウは空腹のあまり、そんなこと言っている場合じゃないという感じで、長子の権利をヤコブに譲ってしまったのです。エサウの姿について考えてみたいと思います。エサウは、アブラハム、イサクの家に生まれた者として、その家を受け継ぐ特権を持っていました。それは生まれながらして与えられたかけがえのない特権でした。にも関わらず、その権利を簡単に手放してしまうのです。そんなエサウの姿に「本当に目先のことしか考えていないなと思ってしまいます。しかし、同時にその姿というのは、私たちも他人事ではないかも知れないと思います。私たちも目先のこと、今のことしか見えなくなっている中、大切なものを見落としていたり、与えられていたはずの大切なものを簡単に手放してしまうということがあるんじゃないかと思うのです。

東日本大震災の時、本当に心痛める出来事がありました。原発事故で避難をし、留守になった家に泥棒が次々入ったというのです。その話を聞きながら、「人間のすることだろうか」と心痛めたり、腹を立てたりしました。ですが、そういう「火事場泥棒」というのは、一部の人たちだけに留まらないのかも知れません。たとえば、近年の社会の情勢や、政治の動向なんかを見ていますと、それと近いことが起こっているんじゃないかと思うのです。たとえば、香港の情勢だったり、ミャンマーのクーデターなんかを思います時に、このコロナの状況の中、みんな自分たちの目の前のことで精いっぱいという状況で注意が他のほうに向いている中で、この時に乗じて起こっていることなんじゃないかと思ったりします。そして、それというのは海外だけの話ではないんじゃないかと思います。ともすると、私たちの日本も例外ではなくて、私たちがそれぞれ目の前のことにあくせくしている中、気づいたら、政治がどんどん勝手なことをしてしまっている…。気づかない間に、本当に重要な法案なんかが通っていてしまっているということがあるんじゃないかと思うのです。

いずれにしましても、本日のエサウの姿は、私たちに色々なことを問いかけているのだと思います。今の時代、どうしても目の前のことで一杯一杯になってしまう中、エサウのようにならないように、私たちが本来、持っているはずの大切なもの、大切な権利を失うことのないように目を注ぐことは本当に大切なことだと思います。

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