「井戸を掘り続けた人」

創世記26:15-25

創世記26章には、イサクとペリシテの人たちとの様々な出来事が記されています。ゲラルの地で寄留の民として過ごしていたイサクは、飢饉の時にペリシテ人たちが住む地に避難をしました。自分の妻であるリベカを、妻ではなくて妹だとみんなに紹介したことで、トラブルになり、ペリシテ人の王アビメレクから咎められました。またペリシテ人たちからイサクの井戸を次々に埋められ、ついに「ここから出ていっていただきたい」(26:16)と言って追い出されたりもしました。しかし、イサクは忍耐強く、ペリシテ人たちに接し続けたのです。井戸を埋められ、追い出されたりしても、新しい井戸を掘り続け、ついにイサクは周りから何も言われないような、争いごとの起こらない、自分たちの居場所を見つけることができました。本日の箇所はその後の記述です。ある時、ペリシテ人の王アビメレクが、参謀と軍隊の長を連れ立ってやって来ました。そして、「主があなたと共におられることがよく分かったからです。そこで考えたのですが、我々はお互いに、つまり、我々とあなたとの間で誓約を交わし、あなたと契約を結びたいのです。以前、我々はあなたに何ら危害を加えず、むしろあなたのためになるよう計り、あなたを無事に送り出しました。そのようにあなたも、我々にいかなる害も与えないでください。あなたは確かに、主に祝福された方です。」(26:28-29)と言い出してきたのです。本日の箇所には、そのように歩みよってきたペリシテ人たちと、イサクとが平和条約を結んだ様子が記されています。

26章全体を通して、改めて、イサクが本当に色々な思いを通らされてきたんだろうなと思います。最初はよそ者として、ペリシテ人たちのところに身を寄せ、不安で不安で仕方なかったと思います。しかし、様々な経験を通して、神様の守りと祝福を実感しながら、イサクは神様を見上げて歩むことを学びます。ですが、ペリシテ人たちとの関係では長い間、悩まされ続けました。しかし、その度に、祈らされたり、忍耐させられながら、自分たちができること、すべきことに務めてきたのだと思います。そのように井戸を掘り続けました。そそしてようやく周りから言いがかりもつけられないような井戸を掘りあて、平安を獲得しました。さらに、それまで敵対していたペリシテ人たちのほうから歩みよってきて、和解を求めてきたのです。イサクはこれらの出来事に神様の守りや取り扱いをひしひしと感じていたのではないでしょうか。そして、主にある勝利を実感したのではないかと思うのです。

26章でイサクが経験した出来事は、私たちも信仰の歩みの中で経験する出来事かも知れません。私たちが信仰の道を歩もうとする時、周りの人たちとの関係に悩むことがあるかも知れません。周りの人から壁を作られたり、反発されてしまうこともあるかも知れないと思います。そんな中、忍耐強く関わっていかなければならないこともあるのではないでしょうか。そんなことを思いながら、イサクが通られた苦悩や葛藤は、私たちも通ることかも知れないと思いました。そんな中、イサクのペリシテ人への態度だったり、最終的にイサクが主にあって勝利した姿というのは、私たちに大切なことを教えてくれていると思うのです。

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