「あなたは永遠の命の言葉を」

ヨハネ6章66-71節

 ヨハネ6章には「5000人の給食」の出来事が記されています。イエス様が五つのパンと二匹の魚で、男性だけで5000人はいる会衆を満腹させたという出来事です。この後、人々はイエス様のところに押し寄せてきました。「イエス様がいてくださったら、もうお腹が空いて困るようなことなんてない」という思いで、人々はイエス様を自分たちの王様にしようと考えたのです。しかし、そんな人々に対して、イエス様は「わたしがあなたたちに与えようとする、本当のパンはわたし自身なんだ。わたしこそが命のパンなんだ」とおっしゃったのです。このイエス様の言葉を人々は理解できませんでした。そんな中、弟子たちの多くがこれを聞いて、「実にひどい話だ。こんな話聞いていられない」と言い出したのです。こうして、イエス様のもとから弟子たちは次々と去っていってしまいました。本日の箇所は、そのような状況から始まっています。弟子たちがどんどん去って行ってしまった様子をご覧になったイエス様はペトロたちに聞きます。「そこで、イエスは十二人に、『あなたがたも離れて行きたいか』と言われた」(6:67)。これに対してペトロは「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」(6:68-69)と答えたのでした。この記事の流れを読みながら、ペトロはきっと色々な思いを通らされながら、このように語ったんじゃないかと思います。それまで一緒に行動していた仲間たちはみながイエス様に躓き、離れてしまいました。ペトロも色々な思いを通らされたのではないでしょうか。心揺さぶられたりしたかも知れません。しかしながら、それでもイエス様のもとにこそ、永遠の命の言葉があるんだと信じ、イエスこそ、神の聖者だと私たちは信じているんだと語ったのです。

 本日の箇所を読みながら、思うことがあります。それはペトロの信仰告白は、とても重要なものであったのだと思いますし、本当に素晴らしいものでもあったのですが、突き詰めて言うなら、いまだ不安定なものでもあったということです。皆さんもよくご存じだと思いますが、本日の箇所で、ペトロは他の弟子たちが去っても、自分たちは残ることができました。しかし、この後の十字架の場面では、彼らもイエス様から離れていってしまうのです。特にペトロは鶏が鳴く前に、イエス様のことを三度知らないと言ってしまうのです。そのことを思う時、6:70の御言葉が心に迫ってきます。イエス様は、ペトロが語った言葉の後、「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか」(6:70)と言われました。この言葉にあるように、ペトロたちは、彼らの思いに先立って、すでにイエス様に捕らえられていました。ペトロたちがイエス様を選び、イエス様を捕らえようとすることに先立って、すでに彼らはイエス様から捕らえられていたのです。そのように、イエス様が捕らえてくださっているからこそ、支えてくださっているからこそ、彼らは迷いながら、悩みながら、イエス様を見失ってしまいそうになりながらも、イエス様を見上げ続け、告白し続けることができたのです。

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