「今後こそ主をほめたたえよう」

創世記29章31-35節

 創世記29:14b-30には、ヤコブの結婚に関する記述が記されています。ヤコブはハランの地で伯父のラバンのもとで羊飼いをしながら生活をしていました。そんな中、ヤコブは、ラバンとの約束で、7年間、ラバンのもとで働くことの報酬として、ラバンの娘であるラケルと結婚することになっていました。しかし、実際に結婚することになったのは、ラケルではなく、ラケルの姉のレアでした。その後、ヤコブがラケルとも結婚することになったのですが、ヤコブにとってラバンの振る舞いに裏切られた思いだったのではないでしょうか。そんな中、ヤコブはこの間、たくさん悩んだり、苦しんだり、傷ついてきたのではないかと思うのです。しかしながら、その背後で、ヤコブ以上に悩んだり、苦しんだり、傷ついてきた人がいたのだと思います。それはレアでした。レアは、ラバンから言われてヤコブと結婚することになりました。しかしながら、ヤコブから望まれていないのに、結婚させられてしまったのです。ヤコブも辛かったかも知れませんが、そんなヤコブを見る時、レアは本当に辛かったのではないかと思います。ヤコブはこの苦しみ、悩みの中で、なお一層、ラケルへの思いを募らせていきました。そんな中、レアはただただ蚊帳の外に置かれてしまっていたような状況があったのではないかと思います。

 神様はレアが疎んじられているのをご覧になられ、彼女を顧みてくださいました。そして、彼女に子どもを与えてくださったのです。本日の箇所を読みながら、何より、この神様の取り扱いに心を留めていきたいと思います。サラの姿だったり、レアの姿だったりというのは、現在の私たちと無関係ではないんじゃないかと思います。私たちの周りにレアのような人がいるかも知れません。あるいは私たち自身がレアのような思いにさせられているかも知れないと思うのです。特にこのコロナの状況の中で、そんなふうになってしまうということがあるのではないかと思います。コロナの状況の中、本当に誰もが悩みを抱えていたり、しんどさを感じているのではないでしょうか。そんな中、人と余り交わることもなく、一人で生活していると、どうしてもあれこれと余計なことを考えたり、気持ちが悶々としてしまうようなことがあります。そんな中、つい周りから取り残されてしまっているかのような、誰も自分のことなんか見てくれていないような、そんな思いにさせられてしまうことはないでしょうか。そんな私たちは、レアの気持ちが心に迫ってくるのではないかと思います。同時に本日の箇所は、私たちにとっての慰めとなり、励ましとなるのではないかと思うのです。自分が脇に追いやられ、周りから取り残されてしまっているかのような、誰も自分のことなんか見てくれていないような、そんな思いにさせられるレアに対して、主はちゃんと見ていてくださいました。そんなレアにこそ、一番近くにいてくださいました。同じように、私たちもそんな時こそ、見ていてくださって、一番近くにいてくださるのです。それが、私たちが信じる主の眼差しなのです。

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