「わたしが神に代われると言うのか」

創世記30章1-13節

 先週は、創世記29:31-35をお読みしました。この箇所からレアに注目しながら読んできましたが、ヤコブとの結婚を通してレアが悩み、傷ついてきた様子を見てきました。これに対して、本日の箇所に記されているのは、レアの妹ラケルの記述です。ラケルは、ラケルでヤコブとの結婚を通し、悩み、傷ついていたことが記されています。ラケルは、ヤコブとの間に子供ができないことが分かると、姉をねたむようになり、ヤコブに向かって、「わたしにもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、わたしは死にます」と言いました(30:1)。ここに記されているように、レアがラケルを見て、うらやましいと思っていたように、ラケルは、ラケルで、レアがねたましく思っていたのです。そんなレアとラケルの姿を見ながら「人にはそれぞれのストーリーがあるんだな」と思います。

 いずれにしても、ラケルはラケルで悲しみ、傷つき、ラケルを妬んでいました。そして、その思いをそのままぶつけるようにヤコブを訴えたのでした。「わたしにもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、わたしは死にます」。ラケルは切実な思いでヤコブに訴えたのだと思います。しかし、そんなラケルに対して、ヤコブは「わたしが神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ」(30:2)と答えるのです。ヤコブがこんなふうに感情をあらわにするのは珍しいんじゃないかと思います。ヤコブとしては、色々な思いがあったのではないでしょうか。自分としてはどうにもできないことなのに、ラケルからまるで自分が悪いかのように責められているような思いにさせられたのかも知れません。また、ラケルの苦しんでいる姿に、何とかしてあげたいという思いもあったからこそ、こんなふうに感情をあらわにしてしまったのかも知れないとも思います。

ラケルに対してヤコブが語った言葉は、全くの正論でした。間違ったことは何一つ言っていません。全くもってその通りだと思います。しかし、どうでしょうか。ヤコブがこんなふうに怒られたことだったり、言われたことは、ラケルにとってショックだったろうなと思います。ラケルとすれば、ヤコブに対して何も言い返せませんでした。全くその通りでした。ですが、言い返せないだけに深く心を痛めたのではないかと思います。特に「お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ」という言葉は、ラケルにとって傷つけられる言葉だったんじゃないかと思います。自分が神様から裁かれてしまっているかのような、そんな思いにさせられたりしたんじゃないでしょうか。そして、思うのです。ヤコブは、本当はそんなこと言いたかったわけではなかったんじゃないでしょうか。ヤコブはラケルを愛していました。ですが、本当だったら、悩んでいるラケルに対して、励ますような、慰めるような、そういう言葉をかけてあげたかったんじゃないかと思うのです。しかし、やり取りの中で思わず口から出てきてしまった言葉が、こんな言葉になってしまったのです。ヤコブとしても、本意ではなかったろうなと思いながら、そんなヤコブの姿に、私たちもこういうことをしてしまうことがあるかも知れないと思ったりします。

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